菊池海荘(読み)きくちかいそう

改訂新版 世界大百科事典 「菊池海荘」の意味・わかりやすい解説

菊池海荘 (きくちかいそう)
生没年:1799-1881(寛政11-明治14)

幕末・明治初年の地方名士。父は垣内淡斎で江戸の砂糖薬物商。紀州有田郡栖原村で生まれる。名は保定,字は士固,通称は孫輔,号は渓琴,後に海荘,別号を七十二連峯。姓を垣内から菊池に改めた。詩を学び,藤田東湖,佐久間象山らとも交際した。天保の飢饉由良港などで失業対策事業を行い,幕末には海防をとなえ,有田・日高両郡の文武総裁となり農兵を組織・訓練した。著書は《国政論》《天主教論》など。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池海荘」の解説

菊池海荘 きくち-かいそう

1799-1881 江戸後期-明治時代の漢詩人。
寛政11年9月25日生まれ。生家紀伊(きい)有田郡(和歌山県)の豪商。砂糖問屋の江戸店をつぐ。大窪詩仏にまなび,広瀬旭荘(きょくそう)らとまじわる。天保(てんぽう)年間に郷里で窮民救済につくし,幕末には海防策を建白,農兵を組織した。明治14年1月16日死去。83歳。本姓は垣内。名は保定。別号に渓琴。詩集に「海荘集」,著作に「国政論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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