蓑川村(読み)みのかわむら

日本歴史地名大系 「蓑川村」の解説

蓑川村
みのかわむら

[現在地名]岡崎市蓑川町

おと川支流の竜泉寺りゆうせんじ川が北に向かって流れる。南は藤川ふじかわ道で竜泉寺村尾尻おじり村と境。集落は街道から北側に立地。東は藤川宿、西は平地本宗ひらちほんしゆう寺領・馬頭ばとう村、北は生田しようだ村と接する。中世乙見おとみ庄に属すという。伝承では至徳元年(一三八四)美濃国里見城主土岐頼直が尾尻長福ちようふく寺に田畑を寄進して一帯を「美濃川」と称したと伝える(長福寺縁起)。天文一一年(一五四二)・同一七年に村域を含めた一帯が織田氏と今川氏との小豆坂あずきさか戦場となった。永禄六年(一五六三)三河一向一揆でも美濃川の戦があったと伝える(村誌)。天正一八年(一五九〇)岡崎城主田中吉政領。同年に宮部是定坊の検地を受けたことが享保六年(一七二一)の三州額田郡蓑川村本田新田町歩并人数書上帳(蓑川区有)で判明する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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