朝日日本歴史人物事典 「蔡鐸」の解説
蔡鐸
生年:尚賢4.12.8(1645.1.5)
近世琉球の久米村(現在の那覇市久米にあった中国系住人の集落)役人。学者・文人としても著名。位は紫金大夫,官は総理唐栄司に昇る。東風平間切(東風平町)志多伯地頭となり志多伯親方と称す。3度中国に渡っているが,最初は勉学のため,2度目の尚貞14(1682)年は通事,同20年は進貢正議大夫であった。3度目には,進貢船の規定の乗員数を150人から200人に増やすことを上奏して免許を得ている。同17年には孔子廟の制を整えた。同24年久米村の最高職である総理唐栄司となり,22年間同職にあって,久米村の近世的発展に力を尽くした。また琉球の外交文書集『歴代宝案』や正史『中山世譜』の編集に当たったほか,漢詩集「観光堂遊草」を残している。子に三司官となった蔡温がいる。
(田名真之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報