蔵垣内村(読み)くらがいちむら

日本歴史地名大系 「蔵垣内村」の解説

蔵垣内村
くらがいちむら

[現在地名]坂井町蔵垣内

大口東おおくちひがし村の南にあり、坂井平野の中央部で、竹田たけだ川と兵庫ひようご川の中間に位置する。集落東南上蔵垣内かみくらがいちと約五〇〇メートル離れた西北の下蔵垣内とに分れる。慶長六年(一六〇一)結城秀康が多賀谷三経に与えた知行宛行状(多賀谷文書)では、なか(上蔵垣内)と蔵垣内(下蔵垣内)が別に記されているが、正保郷帳では「蔵垣内村中村共ニ」とあり、元禄郷帳以降は両村を合わせて蔵垣内と記している。


蔵垣内村
くらがいちむら

[現在地名]上月町福吉ふくよし

中山なかやま村の西、金屋かなや村の北、幕山まくやま川中流域に位置する。同川沿いを古代―中世美作道が通る。江戸時代の領主変遷は寛永一七年(一六四〇)までは上月村に、以後中山村に同じ。正保郷帳に村名がみえ、田方一一七石余・畠方二八石余。享保二年(一七一七)の村明細帳(井上家文書)によれば高一四六石余、反別田七町五反余・畠四町六反余、家数二三・人数一二〇、牛一一、紺屋紙屋が各二軒ある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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