薄煕来(読み)はくきらい//ぽー・しーらい

知恵蔵 「薄煕来」の解説

薄煕来

中国の有力政治家。庶民の人気も高く、次期習近平(シー・チンピン)体制の下、政治局常務委員会(常務委)入りが有力視されていた。しかし、2012年2月、腹心の王立軍(ワン・リーチュン)副市長が米国領事館に駆け込み、亡命を申し出るという異例の事態の責任を問われ、重慶市党委書記の職を解任された。更に4月、薄氏の妻・谷開来(クー・カイライ)が英国人実業家ニール・ヘイウッド氏の殺人容疑で逮捕されるという空前スキャンダルが発生。裁判では薄氏の関与は言及されなかったが、こうした一連の事件(重慶事件)をきっかけに、薄氏の汚職疑惑や一族の不正蓄財疑惑が新聞・雑誌を賑わせ、党中央規律検査委員会からも、「重大な党規違反」を理由に身辺調査を受けている。事実上、薄氏の常務委入りは閉ざされたとみられる。
薄煕来氏は1949年、党の重鎮「八老」の一人・薄一波(ポー・イーポー)の次男として生まれた。太子党(高級幹部の子弟)に含まれ、前国家主席・江沢民(チアン・ツォーミン)との関係が深いといわれる。青年期は、文化大革命に当たり工場労働を強いられたが、20代後半で名門・北京大学に入学。在学中の80年に共産党に入党し、卒業後は党中央の職に就いた。その後、遼寧(りょうねい)省近県の副書記等を経て、93年に同省大連市の市長に就任。強力なリーダーシップを発揮し、とりわけ公害で汚染された街の浄化緑化に努め、国連の人間居住賞を授与された。外資の導入にも積極的で、日系企業だけでも300社近くを誘致している。
2004年には、日本の経済産業大臣に当たる商務部部長に就任し、日欧米との貿易交渉でも、巧みな弁舌で多くの成果を上げた。07年には中央政治局委員・重慶市党委書記に就任。重慶市では、暴力団排除の「打黒」キャンペーンを展開し、500以上の暴力組織、約6000人の関係者を摘発した。ただし、正当な法手続きを経ないまま投獄された一般市民も多く、常務委入りの実績づくりという批判も少なくない。格差是正にも積極的で、高い経済成長率を維持しながら、低所得層への手厚い分配政策を進め、「重慶方式」として賞賛された。また、紅歌(革命歌)を広める復古運動を展開し、低所得者だけでなく、格差・腐敗なき毛沢東時代に郷愁を感じる人々の支持も集めていた。薄氏の失脚は、重慶事件だけでなく、こうした極端な回帰路線と民衆の熱い支持が党中央の脅威となったから、とみる識者も多い。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

現代外国人名録2016 「薄煕来」の解説

薄 煕来
ハク・キライ
Bo Xi-lai

職業・肩書
政治家 元中国共産党政治局員,元重慶市党委書記

国籍
中国

生年月日
1949年7月3日

出生地
山西省定襄県(原籍)

学歴
北京大学歴史系〔1977年〕卒,中国社会科学院大学院国際新聞専攻〔1982年〕修士課程修了

経歴
薄一波元副首相の二男。北京大学卒業後米国に留学。1982年中国共産党書記局研究室に入り、その後、遼寧省の行政幹部の道を歩む。大連市金州区長などを経て、’89年大連市副市長、’93年市長就任。’99年同市党委書記、遼寧省党委常務委員。2001年2月〜2004年2月遼寧省長。2002年党中央委員。2004年2月〜2007年中国商務相。2007年10月党政治局員に昇格して、12月重慶市党委書記。太子党出身若手指導者の一人で、長身で女性に人気があった。2012年11月の党大会で最高指導部入りが有力視されていたが、3月党の紀律違反問題が発覚し重慶市党委書記解任。9月党籍剥奪と公職追放、刑事訴求の処分を受けた(薄煕来事件)。また妻の谷開来が英国人実業家を毒殺した罪で、8月に執行猶予付きの死刑判決が下された。2013年9月山東省済南市中級人民法院が無期懲役判決。10月の上訴審判決で上訴が棄却され判決が確定した。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android