朝日日本歴史人物事典 「薩弘恪」の解説
薩弘恪
7世紀後半の唐からの渡来系官人。持統3(689)年6月,おなじく唐人の続守言と共に稲を賜った。同5年9月にもふたりは銀20両を賜ったが,そのときは共に音博士。翌年12月にも両博士は水田4町を与えられている。刑部親王(忍壁皇子),藤原不比等らと共に大宝律令の編纂に携わったが,令の選定終了に伴い,文武4(700)年6月禄を賜った。時に位階は勤大壱。
(館野和己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(館野和己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新