ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「薩摩治郎八」の意味・わかりやすい解説
薩摩治郎八
さつまじろはち
[没]1976.2.22. 徳島
国際的社交人。祖父は極貧から一代で財を成した近江商人。 1918年オックスフォード大学に留学する。 21年パリに移り住み,バロン薩摩と呼ばれパリ社交界の人気者となる。藤田嗣治 (ふじたつぐはる) ,ラベル,ミロら芸術家と親交を深める一方,藤原義江,原智恵子らを援助してデビューさせたり,私財を投じてパリの大学都市に留学生会館「日本館」を建設 (25年開館) するなど日仏の文化交流に努めた。 26年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章した。第2次世界大戦後,無一文で帰国し,随筆家となる。 59年徳島に阿波踊り見物に出かけた際,脳卒中で倒れ,以来,死去するまでの 17年間を徳島で過した。著書に『巴里・女・戦争』 (54) ,『せ・し・ぼん-わが半生の夢』 (55) ,『ぶどう酒物語』 (58) などがある。
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