藤原俊盛(読み)ふじわらのとしもり

改訂新版 世界大百科事典 「藤原俊盛」の意味・わかりやすい解説

藤原俊盛 (ふじわらのとしもり)
生没年:1120(保安1)-?

平安末期の廷臣。権中納言長実の孫で,尾張守顕盛の長男。長実,顕盛はともに白河院近臣として活躍したが,鳥羽院政が始まるや,顕盛は年来鳥羽上皇を軽んじたとして失脚した。しかし長実の女得子(美福門院)が上皇の寵を得るに及び,一家は繁栄を取りもどし,俊盛も備後丹後越前讃岐など大国の守を歴任し,その間蓄えた財力をもって上皇および美福門院に奉仕し,さらに後白河院の年預別当に補されて院中の雑事をつかさどった。1164年(長寛2)従三位に昇り,さらに正三位に進んだが,77年(治承1)出家した。没年は不詳。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原俊盛」の解説

藤原俊盛 ふじわらの-としもり

1120-? 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
保安(ほうあん)元年生まれ。藤原顕盛(あきもり)の長男。母は藤原敦兼(あつかね)の娘。藤原長実(ながざね)の孫。丹後,讃岐(さぬき)などの国守を歴任し,長寛2年(1164)従三位。のち太皇太后宮権大夫(ごんのだいぶ),正三位にいたる。後白河院の年預別当をつとめた。治承(じしょう)元年(1177)出家。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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