平安初期の官人。藤原北家の出身で,右大臣藤原内麻呂の二子。母は飛鳥部奈止麻呂の娘という。平安時代の藤原北家隆盛の素地をつくったと評される。しかしその生涯は権謀術数に富んでいるというよりは,その政治的資質によるところが大きい。〈器局温裕,職量弘雅〉で,文武の才を兼備し,よく衆人の歓心を得たという。801年(延暦20)大判事となり,平城朝には春宮亮,侍従となって天皇らに近侍し,左衛士督,大舎人頭などを歴任し,とくに嵯峨天皇の信任を得ていた。平城上皇の動きに対抗して嵯峨天皇が810年(弘仁1)に新設した蔵人所の頭に巨勢野足とともに任ぜられ,翌年参議となった。以降も嵯峨天皇との緊密な関係はつづき,814年にはとくに従三位に叙され,その室藤原美都子にも従五位下が授けられた。ついで権中納言から中納言,大納言を経て821年には右大臣左近衛大将,823年正二位となり,さらには825年(天長2)には782年(延暦1)以来欠官であった左大臣に任ぜられた。その政治は社会の実情に対応した現実的な諸政策を展開しつつ,娘順子を正良親王(仁明天皇)の妃とするなど天皇との血縁関係も密にした。826年7月に没し,正一位が追贈され,さらに順子の子文徳天皇が即位するにおよんで,外祖父として太政大臣が追贈された。藤原氏長者として施薬院や勧学院を置くとともに興福寺南円堂を建立し,《弘仁格式》《内裏式》の選修にも参加した。
執筆者:佐藤 宗諄
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平安初期の政治家。右大臣内麻呂(うちまろ)の二男。後の嵯峨(さが)天皇が皇太弟となったとき春宮大進(とうぐうだいしん)、春宮亮(すけ)となり信任厚く、天皇即位後は昇進が著しかった。810年(大同5)3月に初めて蔵人(くろうど)を置いたとき蔵人頭(とう)を兼ね、同年9月の薬子(くすこ)の変後式部大輔(しきぶたいふ)ついで翌年参議に昇進、以後順調に昇進して右大臣となり、淳和(じゅんな)天皇即位後、左大臣に昇進し、嵯峨朝および淳和朝初期の重要政務に関与した。また勅命を受け『内裏式(だいりしき)』『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』を撰修(せんしゅう)した。その子良房(よしふさ)は嵯峨天皇皇女の源潔姫(きよひめ)を妻に迎え、その女順子(じゅんし)は仁明(にんみょう)天皇の妃となり、後の文徳(もんとく)天皇を生むなど皇室との血縁関係を強く結び、藤原北家(ほっけ)興隆の基礎を築いたが、一方では氏寺興福寺に南円堂を建て、勧学院を創立するなど藤原氏全体の繁栄のために尽くした。広大な邸宅閑院に住み閑院左大臣と称せられた。天長(てんちょう)3年7月24日死去、文徳天皇即位後外祖父のゆえをもって太政(だいじょう)大臣を追贈された。
[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代Ⅱ』(1959・東京大学出版会)』
(瀧浪貞子)
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775~826.7.24
平安初期の公卿。父は内麻呂。母は女嬬(にょじゅ)百済永継。同母兄に真夏(まなつ)がおり,桓武天皇の皇子良岑(よしみね)安世は同母弟。号は閑院大臣。大判事・春宮亮・蔵人頭をへて811年(弘仁2)参議となる。嵯峨天皇に信任され,権中納言・中納言・大納言・右大臣と昇進,左近衛大将を兼任し,政界の中心として現実的地方政策の推進にあたった。825年(天長2)には左大臣となったが,翌年没した。正二位。のち贈正一位太政大臣。穏和な性格で文武を兼ね備え,よく人に慕われたという。「弘仁格式(きゃくしき)」「内裏式(だいりしき)」の編纂に従事した。藤原氏および北家興隆の基礎を築き,一族のために勧学院をたてたり施薬院を復興したりもした。文徳天皇の外祖父。
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…平安初期の藤原冬嗣にはじまる邸宅。平安京二条大路の南,西洞院の西。…
…平安時代に設けられた藤原氏出身の学生のための教育施設。821年(弘仁12)に,右大臣藤原冬嗣が一族子弟の大学生のための寄宿舎として建てたもので,やがて大学寮の付属施設として公認され,大学別曹となった。左京三条一坊にあり,大学寮の南に当たるので南曹とも称し,また氏院(うじのいん)ともいわれた。…
…このほかにも20余種の練香が伝えられているが,基本的には現在でもこの6種に代表される。練香を初めて合わせたのは閑院左大臣藤原冬嗣であるという。以後多くの宮廷人が季節の情趣を表現しようと秘法を競い,〈六種薫物〉の作製についても80種以上の調合処方が残されている。…
…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家,二条家,一条家,九条家,鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…
…書名は文(あや)のある美しく秀でた作を集めた詩集の意。嵯峨天皇の勅命を受けた藤原冬嗣が仲雄王(なかおおう)や菅原清公(きよとも)らに命じて編集させたことが,仲雄王の序文にみえる。作者26名(序文では数に入れていない嵯峨天皇,東宮淳和を加えて28名),詩数148首(現存本は5首欠)。…
※「藤原冬嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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