藤原時代(読み)ふじわらじだい

精選版 日本国語大辞典 「藤原時代」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐じだい ふぢはら‥【藤原時代】

遣唐使廃止(八九四)を境にした平安時代中期後期を、摂政・関白として勢力を振った藤原氏にちなんで称する。特に美術史上で、平安前期の弘仁貞観時代八一〇‐八七七)に続く約三世紀間をさしていう。唐文化影響から脱して、優美典雅な、いわゆる国風文化を作りあげた時代

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デジタル大辞泉 「藤原時代」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐じだい〔ふぢはら‐〕【藤原時代】

日本文化史、特に美術史上の時代区分の一。弘仁貞観時代に次ぎ、遣唐使廃止以後、藤原氏が摂関政治を行った平安時代中期・後期をさす。女流文学大和絵和様書道・寝殿造りなど国風の優美な文化をつくり出した。

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百科事典マイペディア 「藤原時代」の意味・わかりやすい解説

藤原時代【ふじわらじだい】

文化史・美術史で平安中・後期をさす時代区分。弘仁貞観時代の後,鎌倉時代の前。政治史上の摂関政治・院政の両期を含む。律令制形骸化して藤原氏あるいは院を中心とする貴族・社寺が荘園公領を支配,文化面では唐の模倣を脱した優雅な文化を形成した。漢字から仮名が生まれて《源氏物語》など幾多の傑作が書かれ,絵巻はじめ大和絵発達し,建築では貴族の邸に寝殿造寺院浄土教の流行による阿弥陀堂が多く造られ,彫刻では寄木造(よせぎづくり)が一般化した。
→関連項目国風文化平安時代

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原時代」の意味・わかりやすい解説

藤原時代
ふじわらじだい

日本史,とりわけ文化史,美術史上の時代区分の一つ。いわゆる平安時代4世紀のうち最初の1世紀を弘仁・貞観時代というのに対して,寛平6 (894) 年の遣唐使廃止以後の3世紀を藤原時代と呼び,摂関藤原氏を中心として国風文化の進展した時代とする。政治史上の摂関時代,院政時代,平氏政権時代を含む。高度に洗練された貴族生活は,優美な京都の風土と相まって,優雅で繊細な文化を生み,文学では,仮名の普及,物語文学,日記文学の発達を示し,美術では,寝殿造やまと絵をはじめ,書,衣装などに唐風からの脱皮をみせ,宗教では,天台,真言とならんで浄土教が発展し,神仏習合の思想も芽生えた。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原時代の言及

【藤原氏】より

…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…

【平安時代美術】より

…これから政治・文化の中心が京都に存在した約400年間がいわゆる平安時代であり,美術の歴史の上でもこれを一つの時代とみている。ただし見方によって,894年(寛平6)の遣唐使廃止によって象徴される大陸文化との一応の絶縁までを弘仁・貞観あるいは貞観時代といって,それ以後の藤原時代と区別したり,10世紀中ごろのようやく和様化の顕著となってくる時期までを平安前期,以後を和様の完成からその展開の時期とみて平安後期のように二分するなど,諸説がある。これらの考え方の根底には,9世紀における華麗な密教美術の開花と,いわゆる一木彫像の示す存在感の強烈な印象が,一つの画期的なものであるという主張がうかがえる。…

※「藤原時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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