藤原高子(読み)ふじわらのたかいこ

改訂新版 世界大百科事典 「藤原高子」の意味・わかりやすい解説

藤原高子 (ふじわらのたかいこ)
生没年:842-910(承和9-延喜10)

平安前期の女御。藤原長良の子で,叔父良房の政略により入内し,866年(貞観8)には清和天皇の女御となり,868年陽成天皇を生む。のちに皇太夫人皇太后となるが,896年(寛平8)高子建立の東光寺僧善祐とのスキャンダルにより廃后された。死後943年(天慶6)本位に復した。その後宮には歌人などが多く出入りして,貴族文化発達の場となった。在原業平と〈二条后〉高子との恋は《伊勢物語》に説話化されている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原高子」の解説

藤原高子(1) ふじわらの-こうし

842-910 平安時代前期,清和天皇の女御(にょうご)。
承和(じょうわ)9年生まれ。藤原長良(ながら)の娘。母は藤原総継(ふさつぐ)の娘,乙春。陽成(ようぜい)天皇,貞保(さだやす)親王,敦子内親王を生む。陽成即位で皇太夫人,皇太后となるが,寛平(かんぴょう)8年(896)密通をうたがわれ廃后。延喜(えんぎ)10年3月24日死去。69歳。のち皇太后に復された。二条后(きさき)とよばれ,入内(じゅだい)前の在原業平(なりひら)との悲恋が有名。名は「たかいこ」ともよむ。
格言など】雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙いまやとくらむ(「古今和歌集」)

藤原高子(2) ふじわらの-こうし

?-? 平安時代中期の女官
正暦(しょうりゃく)5年(994)中務乳母(なかつかさのめのと)の名で三条天皇の中宮藤原妍子(けんし)の乳母となる。典侍,従四位下。長和3年ごろ夫藤原惟風(これかぜ)と死別後,その弟の惟貞(これさだ)と再婚。和歌をよくし「後拾遺和歌集」に1首みえる。別名に灑子(さいし)。

藤原高子 ふじわらの-たかいこ

ふじわらの-こうし(1)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原高子」の意味・わかりやすい解説

藤原高子
ふじわらのたかいこ

[生]承和9(842)
[没]延喜10(910).3.24.
清和天皇の女御。陽成天皇の母。長良の娘で基経の妹。別称,二条の后。元慶1 (877) 年陽成天皇即位とともに皇太夫人,同6年皇太后となる。寛平8 (896) 年僧善祐と通じて后位を停止されたが,天慶6 (943) 年に皇太后に追復された。

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