日本歴史地名大系 「藤巻館跡」の解説 藤巻館跡ふじまきやかたあと 福井県:吉田郡上志比村藤巻村藤巻館跡[現在地名]上志比村藤巻藤巻の北方山麓、字勘解由殿(かげゆどん)にある。南部(乙部)勘解由左衛門義綱館跡と伝える。背後の向(むかい)山(三四〇メートル)がその城跡と伝え、空堀跡も残る。南隣する字五輪石(ごりんせき)には勘解由左衛門のものと伝える五輪の墓石も近年まであった。「越前国城蹟考」は「朝倉家南部勘解由左衛門義綱乙部トモ 藤巻村際東方二十間四方計之所」と記す。天正二年(一五七四)の二月、一向一揆勢に攻撃されたことが「朝倉始末記」にみえ、「爰ニ河井ノ八杉ト云者アリ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報