出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
神奈川県の中央部に位置し,相模湾に面する市。1940年市制。人口40万9657(2010)。市域は相模湾岸の砂丘地帯から,相模野台地の南部まで南北に広がる。近世には時宗の総本山清浄光(しようじようこう)寺(遊行(ゆぎよう)寺)の門前町,東海道の宿場町として栄えた。1887年東海道本線が通じ,藤沢駅が設けられたことから,駅の北側に市街地が形成され,また湘南の観光・保養地として発展した。1902年藤沢駅から片瀬川河口部の片瀬まで江ノ島電鉄が通じ,28年には小田急江ノ島線によって新宿と直結され,急速に開発が進んだ。第2次大戦後は各種工業も立地し,57年以降,自動車,製薬などの工場誘致が進められ,北部を中心に工業団地も形成され,60年代には市域の北西部に大型団地の造成が急速に進められた。これらに伴って藤沢駅周辺の市街地再開発が進み,駅の南北にバスターミナル,大型小売店が軒を並べている。また,近年には市域の北郊の市街化が著しい。1966年に設置された小田急湘南台駅の西方には文化センターがあり,さらに西方の遠藤には慶応義塾大学のキャンパスがある。また99年には横浜市の戸塚から湘南台駅まで横浜市営地下鉄ブルーラインが開業した。相模湾上に浮かぶ江の島は対岸の片瀬・鵠沼(くげぬま)海岸とともに湘南観光の中心地となっている。
執筆者:伊倉 退蔵
奈良・平安時代の文献にみえる高座郡土甘(とかみ)郷,大庭(おおば)郷,鎌倉郡尺度(さかと)郷,方瀬(かたせ)郷などの地がほぼ現在の藤沢市に比定される。藤沢には時宗の総本山清浄光寺があり,藤沢道場と呼ばれていた。室町時代の文書では〈藤沢〉と記して同寺を指している場合が多い。1333年(元弘3)5月,鎌倉へ攻め入る新田勢によって藤沢あたりも火をかけられ(《太平記》),1416年(応永23)10月勃発した上杉禅秀の乱でも,鎌倉公方足利持氏が鎌倉を追われたのち藤沢も戦場となった(《烟田文書》)。37年(永享9)持氏が関東管領上杉憲実を討つとの風聞がたち,6月憲実は鎌倉を去って藤沢に退いた(《永享記》)。
後北条氏の時代には大鋸引(おおがびき)の職人の居地があり,彼らの伝馬,年貢が一部免除されたが,1568年(永禄11)北条氏康は藤沢の大鋸引頭森木工助に対して,延べ120人の職人の提出を命じている。また1561年閏3月28日には藤沢で新たに商売を始める場合,塩合物(塩漬魚類)の税は2年間,酒税は全面的に免除された(以上《森文書》)。なお《清浄光寺文書》によれば,71年(元亀2)7月16日藤沢のうち200貫が武田信玄(晴信)より清浄光寺に寄進されている。
執筆者:田辺 久子 江戸時代には東海道の宿駅として繁栄した。宿駅の成立は1601年(慶長6)。宿場町は,清浄光寺の門前集落としての性格が濃い大鋸(だいぎり)町をはじめとして,大久保町,坂戸町の3町からなっている。この3町のうち坂戸町が他の2町に比べ広いことが目だつ。宿駅は境川沿いの砂丘上に位置し,東海道を利用する旅人ばかりでなく,江の島や大山阿夫利(おおやまあふり)神社の参詣人相手の宿場町としてのにぎわいもみせ,宿場の住民や周辺村落民の地域市場として,毎月1・6の日に市も開かれた。宿継業務は,問屋場が坂戸町,大久保町に1ヵ所ずつ置かれ,問屋2人,年寄4人,帳附6人,馬指(うまさし)4人,人足指4人,出迎4人,下働16人が半数交代で毎月10日替りにつとめた。1798年(寛政10)の家数は808軒,人口は3384人を数え,1843年(天保14)の家数は919軒,このうち本陣1,脇本陣1,旅籠(はたご)45軒となる。人口は4089人。64年(元治1)の家数は932軒,人口は4566人と幕末に至るほど家数,人口ともに増加し,大鋸町に隣接する鎌倉郡西村は嘉永・安政期(1848-60)ごろから町場化が進行している。
執筆者:土井 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岩手県南部、東磐井郡(ひがしいわいぐん)にあった旧町名(藤沢町(ちょう))。現在は一関(いちのせき)市の南東部を占め、北上(きたかみ)高地南端、北上川左岸に位置する。旧藤沢町は1926年(大正15)町制施行。1955年(昭和30)黄海(きのみ)、八沢(やさわ)の2村、大津保(おおつぼ)村の一部と合併。2011年(平成23)一関市へ編入された。葉タバコ栽培、養蚕地として知られ、近年は酪農も盛ん。宮城県との境にある館ヶ森(たてがもり)山には放牧場がある。地区への交通はJR東北本線花泉駅などからのバスによる。仙台藩政時代から昭和初頭までは、北上川の舟運が盛んであった。大籠(おおかご)は永禄(えいろく)年間(1558~1570)に備中(びっちゅう)(岡山県)から製鉄技術とともにキリスト教が伝わった地で、1639~1640年(寛永16~17)キリシタン300余人が処刑された。
[金野靜一]
『『藤沢町史』全2巻(1979、1981・藤沢町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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