20世紀日本人名事典 「藤田 文蔵」の解説
藤田 文蔵
フジタ ブンゾウ
明治〜昭和期の彫刻家 東京美術学校教授;女子美術学校創立者。
- 生年
- 文久1年8月6日(1861年)
- 没年
- 昭和9(1934)年4月9日
- 出生地
- 因幡国法美郡(鳥取県)
- 旧姓(旧名)
- 田中
- 学歴〔年〕
- 工部美術学校〔明治15年〕卒
- 経歴
- 明治9年上京し、国沢新九郎主宰の彰技堂に学ぶ。同年工部美術学校に入り、ラグーザに師事して彫刻を学ぶ。16年彫刻専門美術学校を設立ようとするが失敗。22年の東京美術学校(現・東京芸術大学)開校に際し、23年同校雇となり、24年講師、33〜38年同教授を務めた。一方、32年に女子美術学校(現・女子美術大学)を創立し校長に就任。明治維新に功のあった人々の記念碑的肖像を多く手がけ、代表作に「有栖川宮肖像」「陸奥宗光像」「乃木将軍像」などがある。同窓だった大熊氏広らと共に日本近代彫刻の基礎を築いた。また熱心なクリスチャンで、明治20年代頃牛込教会長老として日本基督教会に属し、大正8年には四谷キリスト教会牧師となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報