藤田敏八(読み)フジタトシヤ

デジタル大辞泉 「藤田敏八」の意味・読み・例文・類語

ふじた‐としや〔ふぢた‐〕【藤田敏八】

[1932~1997]映画監督俳優朝鮮の生まれ。「非行少年・陽の出の叫び」で監督デビュー。やりきれない閉塞感へいそくかんを抱えた若者の姿を描き、若年層共感を得た。代表作八月れた砂」「赤ちょうちん」「スローブギにしてくれ」など。また、鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」に出演するなど、俳優としても高く評価された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤田敏八」の意味・わかりやすい解説

藤田敏八
ふじたとしや
(1932―1997)

映画監督。朝鮮の平壌(ピョンヤン)に生まれる。1955年(昭和30)東京大学仏文科卒業後、助監督として日活に入社。1967年の『非行少年 陽(ひ)の出の叫び』で監督デビュー以来、その時代時代の若者の心をもっとも敏感にとらえ表現する「青春映画」の第一人者であり続けた。『八月の濡(ぬ)れた砂』(1971)、『赤ちょうちん』『妹』(ともに1974)などで若い観客の圧倒的な支持を得たのち、『スローなブギにしてくれ』(1981)、『ダイヤモンドは傷つかない』(1982)などでは、中年男の哀(かな)しさという新たな境地をみせた。また、鈴木清順(せいじゅん)監督の『ツィゴイネルワイゼン』(1980)に出演して注目を集め、以後、1997年(平成9)の急逝まで俳優としての才能も示し続けた。

[岡島尚志]

資料 監督作品一覧

非行少年 陽の出の叫び(1967)
にっぽん零年(1968)
非行少年 若者の砦(とりで)(1970)
野良猫ロック ワイルド・ジャンボ(1970)
新宿アウトロー ぶっ飛ばせ(1970)
野良猫ロック 暴走集団'71(1971)
八月の濡れた砂(1971)
八月はエロスの匂い(1972)
エロスの誘惑(1972)
赤い鳥逃げた?(1973)
エロスは甘き香り(1973)
修羅雪姫(1973)
赤ちょうちん(1974)
修羅雪姫 怨(うら)み恋歌(1974)
妹(1974)
バージンブルース(1974)
炎の肖像(1974)
裸足のブルージン(1975)
横須賀男狩り 少女・悦楽(1977)
実録不良少女 姦(かん)(1977)
危険な関係(1978)
帰らざる日々(1978)
もっとしなやかにもっとしたたかに(1979)
十八歳、海へ(1979)
天使を誘惑(1979)
スローなブギにしてくれ(1981)
ダイアモンドは傷つかない(1982)
ダブルベッド(1983)
海燕(うみつばめ)ジョーの奇跡(1984)
波光きらめく果て(1986)
リボルバー(1988)

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20世紀日本人名事典 「藤田敏八」の解説

藤田 敏八
フジタ トシヤ

昭和・平成期の映画監督,俳優



生年
昭和7(1932)年1月16日

没年
平成9(1997)年8月29日

出生地
旧朝鮮・平壌

出身地
三重県四日市市

本名
藤田 繁夫

学歴〔年〕
東京大学文学部仏文科〔昭和30年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本映画監督協会新人賞〔昭和42年〕「非行少年・陽の出の叫び」,年間代表シナリオ〔昭和46年・53年・59年〕,山路ふみ子賞(第2回)〔昭和53年〕「帰らざる日々」,おおさか映画監督賞〔昭和63年〕「リボルバー」

経歴
東大仏文科へ進み、演劇活動に熱中。俳優座養成所を経て、昭和30年助監督として日活に入社。42年監督に昇進。第1作「非行少年・陽の出の叫び」などで’70年代硬質の青春を扱う。その後「八月の濡れた砂」「エロスは甘き香り」「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」「帰らざる日々」など時代を敏感に反映した作品で若者の強い支持を受ける。55年には鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」に“俳優”として出演、日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞。監督作品はほかに「スローなブギにしてくれ」「海燕ジョーの奇跡」「ダイヤモンドは傷つかない」「ダブルベッド」など。映画出演に「タンポポ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「藤田敏八」の意味・わかりやすい解説

藤田敏八【ふじたとしや】

映画監督。本名繁夫。平壌生れ。東大卒業後,1955年日活入社。《非行少年・陽の出の叫び》(1967年)で監督デビュー。《八月の濡れた砂》(1971年),《エロスは甘き香り》(1973年),秋吉久美子主演の青春三部作《赤ちょうちん》(1974年),《妹》(1974年),《バージンブルース》(1974年)などで,若者のやり場のないエネルギーを時代風俗を交えて描いた。ほかに《もっとしなやかに もっとしたたかに》(1979年),片岡義男原作の《スローなブギにしてくれ》(1981年),《海燕ジョーの奇跡》(1984年),高樹のぶ子の芥川賞受賞作を映像化した《波光きらめく果て》(1986年)などがある。俳優としても活動し,鈴木清順監督《ツィゴイネルワイゼン》(1980年)などに出演した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田敏八」の解説

藤田敏八 ふじた-としや

1932-1997 昭和後期-平成時代の映画監督,俳優。
昭和7年1月16日朝鮮平壌生まれ。昭和30年日活に入社,42年「非行少年・陽(ひ)の出の叫び」で監督デビュー。のち「八月の濡れた砂」「赤ちょうちん」など青春映画で人気をえる。55年「ツィゴイネルワイゼン」に出演。監督作品はほかに「スローなブギにしてくれ」など。平成9年8月29日死去。65歳。東大卒。本名は繁夫。

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367日誕生日大事典 「藤田敏八」の解説

藤田 敏八 (ふじた としや)

生年月日:1932年1月16日
昭和時代;平成時代の映画監督;俳優
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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