藤田 文江(読み)フジタ フミエ

20世紀日本人名事典 「藤田 文江」の解説

藤田 文江
フジタ フミエ

昭和期の詩人



生年
明治41(1908)年

没年
昭和8(1933)年4月24日

出生地
鹿児島県(奄美大島)

出身地
台湾

学歴〔年〕
鹿児島第二高女卒

経歴
大正12年14歳までを過ごした台湾から鹿児島第二高女に転入し、詩作を始める。鹿児島女子師範に進学、15年七高教授であった新屋敷幸繁が発行する詩誌「南方楽園」に参加。また「牧神」「くれない」などにも作品を発表。昭和8年万国婦人子供博覧会に応募した詩が一等に選ばれ、コロムビアによりレコード化された。同年4月腹部の激痛のため新屋敷幸繁で急逝死後詩集「夜の声」が出版された。ボードレール影響を受けたその詩は感覚的、官能的な夜をテーマにしたものが多い。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田 文江」の解説

藤田文江 ふじた-ふみえ

1908-1933 昭和時代前期の詩人。
明治41年生まれ。詩誌「南方楽園」同人。「くれなゐ」「タテガミ」にもくわわる。ボードレールの影響をうけ,耽美的な詩をかいた。没後,第1詩集「夜の声」が出版された。昭和8年4月死去。26歳。鹿児島県出身。鹿児島第二高女卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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