行友李風(読み)ゆきともりふう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「行友李風」の意味・わかりやすい解説

行友李風
ゆきともりふう
(1879―1959)

劇作家小説家本名直次郎。広島県尾道(おのみち)に生まれる。大阪へ出て新聞記者から松竹文芸部に移り、1917年(大正6)新国劇創立に伴い座付作者となる。23年末に同座を退座するまでに、沢田正二郎の当り芸となった『月形半平太』『国定(くにさだ)忠治』、中里介山(かいざん)原作大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』などを書く。のち小説に転じ、新聞連載小説『修羅八荒(しゅらはっこう)』で草創期大衆文学の人気作家となった。

藤田 洋]

『『行友李風戯曲集』(1987・演劇出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「行友李風」の意味・わかりやすい解説

行友李風
ゆきともりふう

[生]1877.3.2. 広島
[没]1959.12.13. 大阪
小説家,劇作家。本名直次郎。生家は藍商であったが,みずからの放蕩で家をつぶし,新聞記者を経て 1916年大阪松竹の文芸部員。 17年の新国劇発足の際その専属作家となった。代表作に『月形半平太』 (1919) ,『国定忠治』 (同) ,『大菩薩峠』 (脚色,21~22) など。 23年退団,その後『修羅八荒』 (25~26) など波乱に富んだ大衆小説を発表し,人気作家となった。 57年に上方文化振興の功労者として,大阪府から「なにわ賞」を贈られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「行友李風」の解説

行友李風 ゆきとも-りふう

1877-1959 明治-昭和時代の小説家,劇作家。
明治10年3月2日生まれ。大阪新報社記者などをへて,大正6年沢田正二郎が結成した新国劇の専属作者となり,「月形半平太」「国定忠治」で当たりをとる。のち「修羅八荒(しゅらはっこう)」などの大衆小説をかく。昭和34年12月13日死去。82歳。広島県出身。本名は直次郎。
格言など】春雨だぬれて行こう(「月形半平太」)

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世界大百科事典(旧版)内の行友李風の言及

【剣劇】より

…また2代にわたる梅沢昇(初世はのちに竜峰と改名)や,金井修,浅香新八郎,沢村国太郎らは,それぞれに一座を組み,全国の大衆演劇の大半が剣劇といえるほどの時代さえあった。そして〈ちょんまげ〉の任俠の徒の争闘を主題として義理人情をからませた長谷川伸,行友李風(ゆきともりふう),原巌,村上元三,佐々木憲らの作家がこれに好適の脚本を提供し,戦時色の深まるとともに剣劇はますます盛んに行われた。第2次世界大戦後は民主思想の発達に伴い一時は急速に影を薄めたが,昭和20年代の後半にはまたかなり行われるようになった。…

【新国劇】より

…東京新富座での第1回公演に岡本綺堂,松居松葉(しようよう)の戯曲を上演したが,興行的には不調に終わり関西に去った。関西で松竹の白井松次郎に拾われ,京都南座,大阪角座などに出演するが,舞台に迫真的な立回りを取り入れてしだいに観客の喝采を得るようになり,19年には新たな座付作者行友李風(ゆきともりふう)(1877‐1959)の《月形半平太》で大当りをとった。続いて同じく行友の《国定忠次》も成功し,テンポの早い演技と激しい立回りで,剣劇という一ジャンルをつくり,関西劇界を席捲した。…

【月形半平太】より

…行友李風(ゆきともりふう)作の戯曲《月形半平太》の主人公。1919年(大正8)5月京都明治座で沢田正二郎が月形に扮し初演。…

※「行友李風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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