衣川合戦(読み)ころもがわかっせん

世界大百科事典(旧版)内の衣川合戦の言及

【源義経】より

…この合戦の日の朝には常陸坊海尊が逃走する。この衣川合戦は幸若舞《高館(たかだち)》などにも記されている。伝説によっては,衣川合戦に義経は戦死せず,合戦に敗れ味方がことごとく討死した後,鞍馬の大天狗に助けられ,空を飛ぶ乗物で播磨国野口の里に飛来し,入道して教信上人と号し教信寺を建立したという(能《野口判官》など)ものもあり,蝦夷島に渡ってその地を征服し,オキクルミ大王と仰がれ,後には神としてまつられた(《続本朝通鑑》など)とするものがあり,東北から北海道にかけて義経神社などが多く,青森県東津軽郡三厩(みんまや)村には,ここから義経が蝦夷島に渡ったとする伝説がある。…

※「衣川合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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