表象は,哲学や心理学の領域で,主としてドイツ語のVorstellung,英語のrepresentation,フランス語のreprésentationの訳語として用いられる言葉であるが,広狭さまざまな外延をもつ。もともとVorstellungは,18世紀にC.ウォルフによって英語のidea(ロックの用語)の訳語として,次いでカントによってラテン語のrepraesentatioの訳語として使われはじめた言葉であるから,当然表象にも,もっとも広い意味として,感覚印象から非直観的な概念表象までをも含む観念一般という意味がある(この意味についてはカント《純粋理性批判》第2版を参照)。しかし一般には,直観的な性格をもつ対象意識を指し,知覚表象,記憶表象,想像表象,残像,さらには夢や幻覚,妄想までも含む心像一般を意味する。また,物理的刺激によって引き起こされる単純な感覚与件と区別して,それら与件の結合によって,あるいはそこに特定の心的作用が加わることによって成立する知覚像のような心的複合体を表象と呼ぶこともある。カントが現象界を表象と呼び,それにならってショーペンハウアーが〈意志としての世界〉である物自体界と区別して,現象界を〈表象としての世界〉と呼ぶのは,このような意味においてである。しかし,もともとラテン語のrepraesentatioはギリシア語のphantasiaの訳語であり,対象を〈再re現前praesens化〉するという意味であるから,知覚と区別して,再生心像による対象意識,つまり記憶心像や想像心像だけを表象と呼ぶのが普通である。この場合はイメージ(心像)と同義である。心理学ではこの意味の表象として視覚表象だけではなく,聴覚表象,嗅覚表象,運動表象,混合表象をも認めている。個人によってそのいずれかの優位が認められるのである。
さらに,この語の現代の用法からみると例外的であるが,ライプニッツの哲学にあっては表象はperceptioの訳語としても用いられる。ライプニッツはすべての存在者の究極の構成要素つまり実体を〈単子(モナド)〉と呼び,その基本的属性を〈欲求appetitus〉と〈表象perceptio〉にみる。したがって,精神的実体や動物にだけではなく,植物やさらには無機的物体にも,それなりの仕方で世界の全体をおのれのうちに“映し出し表現するrepraesentare”表象の能力が認められるのである。無機的物体を構成する単子において働いている錯雑し混濁した表象は〈微小表象〉と呼ばれるが,精神的単子にあっても熟睡中や失神時にはこうした意識化されない微小表象が働いており,それによって意識の連続性が支えられていると考えられている。
上記のようにラテン語のrepraesentatioはもともとは対象の〈再現前化〉を意味していたのであるが,なぜそこに知覚表象までが含まれることになったのか。中世のスコラ哲学にあっては,知覚とはそれ自体で存在する実体=基体subjectumがわれわれの心に“影を投ずるobjectare”ことであり,そうして生ずる投影像objectumが観念だと考えられた。近代とは逆に,subjectumが即自的実在を,objectumが主観的観念を意味していたわけである。近代初頭のデカルトのもとでも,realitas objectivaは単なる表象のうちで思い描かれる事物の事象内容を意味していた。このように知覚とは,それ自体で現前している存在者が心に投影され,再現されることだという考えから,知覚表象もrepraesentatioと呼ばれたのである。
ところが,近代に入ってsubjectumとobjectumの意味が逆転するのに対応して,repraesentatioの意味にもあるズレが生ずる。たとえばデカルトのもとではあらゆる基体のなかでももっとも卓越した基体subjectumである〈われ思う(コギト)〉の対象,つまりこの〈われ〉によって〈思われるものcogitatum〉だけが真の存在者とみなされる。いいかえれば,主観subjectumとしての〈われ〉が“おのれの前に据えなおしsichvorstelle”,その対象objectumとして“おのれの前に再現前化se représenter”したものだけが真の存在者たりうるのである。カントになると事態はいっそう明確になり,超越論的主観性によって対象として構成されたものだけが現象界に所属する資格をもちうるのである。同じようにrepraesentatioといっても,かつては存在者がわれわれの心におのれを“投影し再現するrepraesentare”と考えられていたのに対し,ここでは主観が存在者をおのれの前に対象として据えなおし,“再現前化するrepraesentare”と考えられるのである。しばしば近代哲学の特色は存在者を表象としてとらえるところにあるといわれるが,その場合,表象ということでそのような事態が考えられているのである。
→イメージ →観念
執筆者:木田 元
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一般に心または意識に現前するものを意味する。通常は、representation(英語)、représentation(フランス語)、Vorstellung(ドイツ語)の訳語として使われる。英語、フランス語の語源であるラテン語repraesentatioは「ふたたび(re-)現前せしめること(praesentatio)」を意味することからも明らかなように、「表象」の語は、少なくとも近世以後の用法においては、人間の「意識」の対象定立作用、反省作用に相関する対象の側面を指示する用語として使われる。
いっさいを人間の意識に取り込んで考えようとする、近世のデカルト以来の意識内在主義的、主体主義的哲学は、カントを受け継いで世界のいっさいを人間意識の表象に解消させるショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」の哲学から、さらにそれを受けて、同じく世界のいっさいを権力意志による解釈の産物とみなすニーチェの「遠近法主義」の哲学において一つの頂点に達するとみることができる。この近世の人間中心主義的な主体主義の哲学、あるいは形而上(けいじじょう)学は、まさに、西欧近世の合理主義的技術文明の基盤をなすものにほかならない。しかし今日では、いっさいの事物を、人間意識の操作対象という側面からだけみることの一面性への反省が、さまざまな角度から現代哲学の主要テーマの一つとなっている。
[坂部 恵]
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[語義]
ギリシア語のエイコンeikōnやファンタスマphantasmaに対応するラテン語のイマゴimagoに由来し,もともとは視覚的にとらえられたものの〈かたち〉を意味し,転じて諸感覚によってとらえられたものの心的表象を意味するようになった。また,写真や版画のように心的表象の物質化されたもの,想像の産物,夢想,白昼夢のように新しくつくり出された心的表象をもさす。…
…〈ナポレオン〉という知識に〈1769年〉という知識をつけ加えても,彼の誕生の記憶にはならないのである。それでは,再生とは伝統的にいわれてきたようにできごとの〈表象〉や〈心像(イメージ)〉が出現することであろうか。しかしその際,もしそれらが意識の面前にある何ものかを意味するとすれば,そこでわれわれは表象や心像という実在物の現前に立ち会うことはできても,過去にあったできごとを思い起こすことにはならないであろう。…
…ホッブズやライプニッツは魂をsubjectumと呼んでいるが,それも感覚を担う基体という意味においてであり,そこには〈主観〉という意味合いはない。一方objectumという言葉も,字義どおりには〈向こうに投げられてあるもの〉という意味であり,中世や近代初期には,外部にある事物が心なり意識なりに投影され,いわば表象されてある状態を意味していた。たとえばデカルトがrealitas objectivaと呼ぶのは,観念として表象されてある事象内容のことであり,当時はむしろobjectumの方に〈主観的なもの〉という意味合いがあったのである。…
…したがって,〈想像〉の語が日本でも古くから慣用されていたことが知られるが,しかしその語は,漢籍などでは〈旧故ヲ思イテ,以テ想像ス〉(《楚辞》)などと使われ,〈おもいやり〉や〈おしはかる〉ことを意味していたようである。それが,西周以来,初めて〈像〉(ラテン語でイマゴimago)の表象ないしその能力を意味するようになった。 こうした心的能力への注目は,西洋では古代ギリシアにまでさかのぼる。…
※「表象」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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