袴田事件(読み)はかまだじけん

共同通信ニュース用語解説 「袴田事件」の解説

袴田事件

1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務橋本藤雄さん宅から出火し、焼け跡から刺し傷のある橋本さんと妻子3人の遺体が見つかった。従業員だった袴田巌さんが強盗殺人罪などで起訴され、公判では無実を主張したが、68年に静岡地裁が死刑を言い渡し、80年に確定した。第1次再審請求は2008年に最高裁特別抗告棄却。姉が第2次請求を申し立て、今年3月、静岡地裁は再審開始を認めると同時に刑執行拘置も停止した。

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知恵蔵 「袴田事件」の解説

袴田事件

2014年3月に再審開始が決まった強盗殺人・放火事件。1966年に逮捕され、死刑が確定していた袴田巌(はかまだいわお)の名から、袴田事件と呼ばれる。事件発生から半世紀近くたっての再審は過去に例がない。ギネス世界記録にも、袴田氏は「世界で最も長く収監されている死刑囚」と認定されている(2011年)。 事件が発生したのは、1966年6月30日未明。静岡県清水市(現静岡市)にあるみそ製造会社の専務宅で火災が起こり、焼け跡から一家4人の遺体が発見された。全ての遺体に無数の刺し傷があったため、静岡県警は殺人事件として捜査を開始。事件発生から2カ月後の8月、同社の従業員で元プロボクサーの袴田氏(当時30歳)が強盗殺人・放火の容疑で逮捕された。 当初、袴田氏は犯行を否認していたが、翌9月一転して自白、容疑を認めた。取調室という密閉された空間での、連日平均12時間にわたる過酷な取り調べによって、自白を強要されたとみられる。11月に裁判が始まると、袴田氏は一貫して無実を訴えた。しかし67年8月、みそ工場のタンクの中から血の付いた5点の衣類が発見され、この血痕が袴田氏や被害者の血液型と一致したことが決め手となり、68年9月、第一審の静岡地裁で袴田氏の有罪(死刑)判決が出された。その後、東京高裁は控訴を棄却、最高裁も上告を棄却したため、80年に死刑が確定した。 81年、これを不服とした弁護団は第1次再審請求を申し立てたが、静岡地裁は棄却。2008年3月には、最高裁も再審請求(特別抗告)を棄却した。しかし翌月、弁護団は静岡地裁に第2次再審請求を申し立て、11年8月、5点の衣類の血痕のDNA鑑定が行われた結果、袴田氏のDNAと一致しないことが判明した。唯一の物的証拠の根幹が揺らいだことから、14年3月27日、静岡地裁は再審開始を決定した。裁判長は「証拠捏造(ねつぞう)の疑いがある」と捜査機関を厳しく批判。刑の執行・拘置の停止という異例の決定も下し、同日、袴田氏は東京拘置所から釈放された。冤罪(えんざい)が濃厚になった元「死刑囚」の釈放は、取り調べの全面可視化や死刑制度の是非を問う議論にも一石を投じることとなった。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2014年)

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知恵蔵mini 「袴田事件」の解説

袴田事件

1966年6月30日に静岡県清水市(現・静岡市)で発生した強盗殺人・放火事件。みそ製造会社専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺体が見つかった。当時、同社の従業員だった袴田巌が強盗殺人、放火などの容疑で逮捕され、同9月に起訴された。袴田は無罪を訴えたが、一審の静岡地裁で死刑が言い渡され、80年に最高裁で死刑が確定した。81年、弁護側が裁判のやり直しを求める第1次再審請求を申し立てたが、2008年に最高裁で棄却。同年からの第2次再審請求で、有罪の決め手とされた衣類に付着した血痕のDNA鑑定が再度実施された。その結果、衣類は袴田のものではない可能性が強まったとして、14年3月27日、静岡地裁が袴田の再審開始を決定。同時に、死刑と拘置の執行を停止する決定が下され、袴田は東京拘置所から釈放された。

(2014-3-31)

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