西峰村(読み)にしがみねむら

日本歴史地名大系 「西峰村」の解説

西峰村
にしがみねむら

[現在地名]高野西にしみねみなみはやし平原ひらはら樫原かしはら東又ひがしまたつえやぶ

高野山北東摩尼まに山の東側谷筋に位置し、集落は山の中腹に散在する。「続風土記」は摩尼庄の村として杖藪・樫原平原・林・南・西峰と市平いちだいら(現九度山町)東宿ひがしやどり・西宿(現橋本市)の九村を記すが、天保郷帳は前五村を西峰村に併せて「古者摩尼」とし、別に下宿しもやどり市平の両村を記して「古は摩尼ノ内」とする。摩尼庄については不明であるが、高野山山麓の山村として炭などを供給したらしく、文安四年(一四四七)八月二一日付の高野山大湯屋釜鋳目録(又続宝簡集)に「堅炭百五十荷 摩尼・久住田原・山田・鞆淵人夫等壱荷代五十文宛下行焼之」とある。

西峰村
にしみねむら

[現在地名]大豊町西峰

吉野川の支流南小川みなみこがわの最上流部にある山村。「土佐州郡志」は「岩原村ノ東南、東西二里南北一里余」と記す。村の東端京柱きようばしら峠を越えると阿波国に入る。地名は天文二四年(一五五五)五月八日付の中村豊楽寺鐘勧進帳(蠧簡集)に「南地九名」の一として「西岑」とみえるのが早い。天正一六年(一五八八)の豊永地検帳にみえる西峰名は近世の西峰村にあたるが、名内には三谷みたに村・スクテウ村・野々屋ののや村・ヤナ瀬村・横野よこの村・大野おおの村・大ハタ井村・クワウノ村・打行うちゆき村・おき村・カケ村の一一小村がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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