日本大百科全書(ニッポニカ) 「西川(旧町名)」の意味・わかりやすい解説
西川(旧町名)
にしかわ
新潟県の中北部、西蒲原郡(にしかんばらぐん)にあった旧町名(西川町(まち))。現在は、新潟(にいがた)市西蒲(にしかん)区の北部お占める一地区。旧西川町は1955年(昭和30)曽根(そね)町と鎧郷村が合併して西川町と改称。1961年升潟(ますがた)村と合併。2005年(平成17)新津(にいつ)市、白根(しろね)市、豊栄(とよさか)市、小須戸(こすど)町、横越(よこごし)町、亀田(かめだ)町、岩室(いわむろ)村、味方(あじかた)村、潟東(かたひがし)村、月潟(つきがた)村、中之口(なかのくち)村ともに新潟市に編入。鎧潟(よろいがた)の西潟端(かたばた)に位置する。近世は長岡藩の曽根組の代官所町として行政上の中心をなし、大正末までは西川舟運の河岸場(かしば)町として栄え、2、7の六斎市(ろくさいいち)もにぎわった。西蒲原穀倉地帯の西川米の集散地で、国の米穀倉庫もあった。第二次世界大戦後、鎧潟が干拓された。JR越後線(えちごせん)が通じ、国道116号の改修で、新潟の中心市街に20分で達せられるようになり、急激に住宅団地の造成が進み、ベッドタウンに変わりつつある。
[山崎久雄]