朝日日本歴史人物事典 「西川扇蔵(4代)」の解説
西川扇蔵(4代)
生年:寛政9(1797)
江戸後期の歌舞伎の振付師。前名藤間勘助。下総国船橋(船橋市)の出身。江戸へ出て初代藤間勘十郎に入門。文政1(1818)年から中村座の振付師を勤める。同6年西川家の養子となって4代目扇蔵を襲名。振付師の座付制度が緩んでいくなかで,文政9年には,中村・市村両座の振付師を兼ね,「両芝居を一人の振付,こいつァ豪儀だ」(「役者註真庫」)と評判された。歌舞伎十八番の「勧進帳」をはじめ,変化物で「藤娘」「供奴」「六歌仙」,常磐津の「うつぼ猿」など流行作を多く生んだ。町の「踊り子」と呼ばれる女性たちの師匠としても一大勢力を築き,日本舞踊西川流の繁栄の基盤を作りあげた。花柳流の流祖寿輔など多くの門弟を育てた。6代目まで歌舞伎の振付師を兼ねたが,以後,日本舞踊西川流の家元の名跡として,平成の10代目におよぶ。
(古井戸秀夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報