西引御堂町(読み)にしひきみどうちよう

日本歴史地名大系 「西引御堂町」の解説

西引御堂町
にしひきみどうちよう

[現在地名]中区十日市とおかいち町二丁目・広瀬ひろせ

雲石路に沿う町で、北はてら町、南は十日市町に続く。広瀬組に属した。町名はのちえびす町に遷座した胡社に由来する。同社は高田郡吉田よしだ(現吉田町)に鎮座した社で、広島城下開築のとき古市ふるいち(現安佐南区)別当寺の真言宗西光さいこう(神仏分離後廃寺)とともに移された。次いで定期市が立ち商業の盛んであった城下十日市の北続きの当町に移され、慶長九年(一六〇四)胡町が「市の町」として町割された時、さらにその近くに移され、その付近はそれぞれ東西両引御堂町とよばれた。

元和五年広島城下絵図に「西引御堂町」として町間数二町五四間とあり、寛永二年広島町数家数改め(済美録)では本家一一五軒・借家二二軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android