西文氏(読み)カワチノフミウジ

デジタル大辞泉 「西文氏」の意味・読み・例文・類語

かわち‐の‐ふみうじ〔かはち‐ふみうぢ〕【西文氏】

古代の渡来系氏族王仁わに子孫と伝えられる。河内国古市郡に住み、主に文筆をもって大和朝廷に仕えた。

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百科事典マイペディア 「西文氏」の意味・わかりやすい解説

西文氏【かわちのふみうじ】

古代の渡来系氏族。書(ふみ)とも書く。(かばね)は初め首(おびと)。王仁(わに)を始祖とする文筆専門の氏族で,最盛期は5世紀ごろ。河内(かわち)南部,現大阪府羽曳野(はびきの)市古市地方を本拠とし,西琳(さいりん)寺は氏寺壬申の乱大海人皇子方の功臣で,奈良県宇陀郡で墓誌が出土した文首禰麻呂(ねまろ)は一族。→東漢(やまとのあや)氏

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「西文氏」の解説

西文氏
かわちのふみうじ

河(川)内文(書)氏とも。応神朝に百済(くだら)から来朝したと伝える王仁(わに)を祖とする渡来系氏族。東漢(やまとのあや)氏の一族である東文氏に対して西文氏と称したか。西漢氏との関係は不詳。河内国古市郡(現,羽曳野市)を本拠とし,氏寺は西琳寺。姓ははじめ首(おびと),683年(天武12)9月に連(むらじ),685年6月に忌寸(いみき),791年(延暦10)4月に宿禰(すくね)に改姓。「古語拾遺」によれば,雄略朝に東文氏とともに三蔵の簿を勘録。令制下でも両氏を中心とする東西史部の子弟は大学入学の対象とされた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「西文氏」の解説

西文氏
かわちのふみうじ

古代の渡来人系豪族。文筆業務を分担した
王仁 (わに) の子孫と称し,河内国(大阪府)古市郡を本拠とした。文書や記録の作成,徴税・出納などの財政・文筆をもって東漢氏 (やまとのあやうじ) とともに大和政権に仕えた。大陸文化の導入に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内の西文氏の言及

【王辰爾】より

…同じころに弟の牛も津史,甥の胆津(いつ)も白猪屯倉(しらいのみやけ)の功により白猪史となっているから,彼らは渡来して間もない帰化人だったのであろう。この一族はみな河内国丹比郡に住み,船氏の居地は同郡野中郷(大阪府羽曳野市野々上付近)で,王仁(わに)の子孫である西文(かわちのふみ)氏の居地ときわめて近接していた。はるか下った790年(延暦9)の百済王仁貞らの上表文では,辰爾らの祖は百済の貴須王で,その孫の辰孫王が応神朝に渡来したという西文氏と酷似した系譜を述べており,《新撰姓氏録》もそれに従っているが,それほど古い帰化人かどうかは疑わしい。…

【王仁】より

…帰化系氏族の西文(河内書)(かわちのふみ)氏の祖と伝える人物。《日本書紀》によると,応神天皇のときに百済王が阿直岐(あちき)という者を遣わして良馬2匹を献上したが,阿直岐がよく経典を読んだので,汝に勝る博士がいるかと問うと,王仁という者がいると答えた。…

※「西文氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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