西村 清雄(読み)ニシムラ スガオ

20世紀日本人名事典 「西村 清雄」の解説

西村 清雄
ニシムラ スガオ

明治〜昭和期の教育者 松山普通夜学会(現・松山城南高校)初代校長



生年
明治4年2月13日(1871年)

没年
昭和39(1964)年12月25日

出生地
愛媛県松山市北京町(現・三番町)

学歴〔年〕
愛媛一中

主な受賞名〔年〕
愛媛県教育文化章,松山市名誉市民〔昭和37年〕

経歴
中学時代にキリスト教洗礼を受ける。明治23年米国人宣教師・ジャドソン女史が不就学児童のための夜学校設立の協力者を求めていたのに心を打たれ松山普通夜学会を開設、21歳の若さで校長に就任。以来勤労青少年教育尽力、授業料は取らず、教科書は貸し与えてキリスト教の奉仕の精神で教育に当たった。27年松山夜学校と改称、同時に女子のために地元機業家の援助を得て綿ネル工場を新設寄宿舎も併設して生徒と起居を共にし、昼は働き、夜に生徒らの教育を行った。昭和20〜24年松山東雲中・高等学校校長を兼務。28年一線を退き名誉校長。賛美歌山路越えて」の作詞者としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村 清雄」の解説

西村清雄 にしむら-すがお

1871-1964 明治-昭和時代の教育者。
明治4年2月13日生まれ。24年アメリカン-ボード宣教師ジャドソンに協力して郷里の愛媛県松山市に普通夜学会(松山城南高の前身)をひらき,翌年校長。勤労青少年の教育と伝道につくした。36年作詞した「山路こえて」は讃美歌に採用された。昭和39年12月25日死去。93歳。同志社英学校中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の西村 清雄の言及

【宇和[町]】より

…農業が町の基幹産業で,米作と裏作のレンゲ栽培,乳牛飼育,養豚などが行われる。宇和海を展望する法華津峠には西村清雄牧師が1903年にこの峠で作った賛美歌404番の記念碑が建てられている。四国八十八ヵ所43番札所の明石寺や高野長英の隠れ家があり,歯長寺の《紙本墨書歯長寺縁起》は重要文化財。…

※「西村 清雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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