( 1 )「東洋」「西洋」とは、中国では周辺世界の四海の一つである南海を東西に分けた名称であった。のち、その範囲は中国と南海諸国との関係によって変化し、「西洋」はインド洋沿岸地域全体をさしたり、さらに遠いアフリカ、ヨーロッパ、アメリカの三州をさしたりもした。
( 2 )日本へは、マテオリッチらイエズス会士の著述を通じて伝わったが、蘭学を通してヨーロッパの実証科学の優秀さを知り、日本をさす「東洋」とは異質の文化をもっているということで、特にヨーロッパとアメリカ合衆国をさすようになっていった。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…狭義では,1880年代半ばに条約改正と関連して明治政府が推進した,鹿鳴館に象徴されるような洋風化の動向,あるいは,それを〈貴族的欧化主義〉と批判し,みずから〈平民的欧化主義〉を唱道した日清戦争前の徳富蘇峰らの言動をさす場合がある。〈欧化〉という言葉は欧米化が簡略化したものであるから,1945年の敗戦後に〈アメリカナイゼーション〉と称された動向なども欧化に含めてよいが,最近では〈欧化〉〈欧化主義〉よりも〈西洋化〉〈西洋主義〉という言葉のほうが一般化している。
[西洋文明の導入]
欧化主義は,幕末に圧倒的に優勢な西洋列強が接近してきた状況のもとで,日本の独立を防衛するためにその文明を導入するという形態をとって勃興した。…
…そしてやがて20世紀には多くの挫折を経験して,個的主体としての人間が,孤独で偶然的ではかない無意味な存在にすぎないものであることを思い知らされることにもなったのであった。
【西欧哲学の現在】
西欧哲学は,19世紀から20世紀にかけては,西方の大西洋を越えてアメリカ大陸に展開し,またマルクス主義哲学の形で東方ユーラシア大陸へと展開した。このように世界的に拡大した西欧哲学の背景となり基盤となっている人間中心主義的世界観,人生観は,西欧を含めての世界の人類にとって好ましい面ばかりでなく,むしろそれを上まわる大きな不幸や災害をもたらすものであることが,20世紀にはしだいに明らかとなってきた。…
…もともと中国語として生まれた語が,日本語でも使われるようになり,やがて大きな語義変化が双方でおこったためであるが,その背景には,政治・文化の史的変化があった。 東洋という表現が中国書に初出するのは,汪大淵《島夷誌略》(元末の1349年に完成,刊本は明末)であるが,ここでは〈文萊は波羅,東洋のつきるところ,西洋の起こるところ〉とあり,この文萊は現在のブルネイをさすと解される。したがって福建省沿岸を出て東南アジア諸島へいたる〈航路〉を東洋の語で表現している。…
…秦の始皇帝のとき前214年に南方を征服し,今日の広州に南海郡をおいたのは,そこが南海への連絡口だったからである。のちには南シナ海の南部からインド洋にわたる海域を南洋と称し,広州または泉州(福建省)から南に伸ばした一線によってこれを東西に分け,東洋,西洋といった。【日比野 丈夫】。…
※「西洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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