西萩間村(読み)にしはぎまむら

日本歴史地名大系 「西萩間村」の解説

西萩間村
にしはぎまむら

[現在地名]相良町西萩間

和田わだ村・大寄おおより村の北に位置し、村の南東部を萩間川が蛇行しながら南流する。西は城東きとう棚草たなくさ(現菊川町)。文禄二年検地高目録に村名がみえ、高二四二石余。正保二年(一六四五)幕府直轄領から掛川藩預地となる(掛川預一万石郷村覚)正保郷帳では田方二〇五石余・畑方四四石余、掛川藩預、ほかに大興だいこう寺領九石五斗・法京ほうきよう庵領一石。元禄郷帳では高二九〇石余。村高は幕末まで変わらない。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。享保郷村高帳では掛川藩領。延享三年(一七四六)幕府領、寛延二年(一七四九)相良藩領(「寛政重修諸家譜」、寛延四年本多忠央領知目録)、その後幕府領となり、天保一二年(一八四一)伊勢長島藩領となり幕末に至る(旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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