西順寺(読み)さいじゆんじ

日本歴史地名大系 「西順寺」の解説

西順寺
さいじゆんじ

[現在地名]北方町北方 寺内

江戸時代の北方地下じげにある。浄土真宗本願寺派、中島山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば三河国で天台宗寺院として開創されたが、真宗に転じ本願寺覚如に従って美濃国へ移った。初め又丸またまる(現岐阜市)へ来たが、やがて現在地へ転じたとされる。「天文日記」天文一〇年(一五四一)九月一二日条、同二二年二月一八日条に当番として寺名がみえる。天正七年(一五七九)の石山合戦では当寺明願は檀徒を率いて本願寺に加勢し、織田信長と対戦して討死したという。寺には同一一年後正月日の織田信孝禁制、同一二年九月一二日の羽柴秀長禁制、慶長五年(一六〇〇)の池田輝政禁制、徳川家康禁制などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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