見付端城跡(読み)みつけはじようあと

日本歴史地名大系 「見付端城跡」の解説

見付端城跡
みつけはじようあと

[現在地名]磐田市見付 城之腰・古城

見付端城遺跡と重なり、浄土宗大見だいけん寺、その北の見付公民館一帯にあたる。築城の時期等は不明だが、戦国期の城主はのち反今川方となる堀越氏であった。天文六年(一五三七)四月二八日の今川義元感状(天野文書)に「見付端城」とみえ、同月二六日に天野小四郎・孫四郎ら今川方の軍勢により攻略された。城郭遺構はほとんど残存せず、南北に並ぶ二つの方形居館を曲輪として合体させた城の姿が、元禄一一年(一六九八)の大見寺絵図(大見寺蔵)から考えられる。曲輪は東西約三六メートル・南北約六五メートルの規模で、土塁が巡っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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