覗石新田村(読み)のぞきいししんでんむら

日本歴史地名大系 「覗石新田村」の解説

覗石新田村
のぞきいししんでんむら

[現在地名]諏訪市豊田とよだ 覗石

有賀あるが村の西南方、有賀峠を越えて鴻ノ田川沿いに伊那側に下った、現上伊那との郡境にある。西方上野新田うえのしんでんと同様、有賀村を親村として、高島藩家老千野氏が開発した新田で、除石新田とも書かれる。

「諏訪郡諸村旧蹟年代記」には「除石新田明暦二丙申年千野兵庫様御見立大豆高四石草分ケ新五左エ門」とある。信濃国郷帳によれば、元禄一五年(一七〇二)には高二三石余、天保五年(一八三四)には高約一七石であったが、享保一八年(一七三三)書上の諏方藩一村限村地図(長野県庁蔵)には、図中に「除石新田家数八軒」とあるだけで、村高は有賀村に含まれており、有賀村の物成(大豆)四八一石余のうち、一・八石余が覗石新田村の分と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android