翻訳|etymology
語原とも書く。日ごろ使っている言葉の一つ一つの語彙について,なぜそういうのかを問うことはほとんど意味がないし,また問う必要もない。なぜなら,我々はそれらの形を親の世代からただ継承しているにすぎず,また勝手にそれらを変更することも許されないからである。にもかかわらず語の語源etymology--これは古代ギリシア語のetymologia〈(語の)真の意味の探求〉に発する--を考えるということは,毎日なにげなく使っている言葉に対する歴史的な反省からはじまる。語を構成する音と意味の結びつきは本来恣意的なものだから,その関係は時間とともにずれてくる。音が変化したり,意味が変わってくる。そこでこの関係を,長い歴史をもった言語の語彙について調べてみると,思わぬ結果がえられる。これが語源探索の大きな興味である。しかしその作業は必ずしも容易ではない。
たとえば,〈たそがれ〉という語は今ではまったく一つの形で,単純に夕暮れの時をさす言葉である。ところがさかのぼって古語をみると,これは〈誰そ彼〉であった。つまり誰であるのか見分けのつかないことをそのままに述べた合成語である。そしてこれが真意である。この場合,形はほとんど変わっていないが,意味の把握の仕方がすっかり変わってしまったのである。同様に我々のいう〈さかな〉は,古代人にとっては魚〈ウオ〉ではなくて,文字通り酒のさかな〈酒菜〉という合成語であった。また,現代人には日が〈暮れる〉と〈暗い〉は無関係のように思われる。ところが古くは夜の〈明ける〉と〈明るい〉,夜が〈ふける〉と〈深い〉など,これらの動詞と形容詞は密着した関係にあった。〈暮れる〉と〈暗い〉は,明りのない古代の人たちの生活を考えれば,まったく自然の関係であろう。〈気の毒〉というのは,本来は〈気の薬〉に対する語で,気分を毒する迷惑なことを意味した。それがいつか,気分を害している相手への同情の念に変わってしまったのである。英語のように強い強弱アクセントをもった言語の形は,著しい変化をうけている。現代語のlord〈主君〉はまったく分析しようのない一語である。しかし中期英語loueredをさらにさかのぼっていくと,古英語のhlāfweardのような形にゆきつく。これはhlāf(>loaf)とweard(>ward)の合成語で,まさしく〈パンの管理者〉である。つまりlordは,昔のイギリス人によってこのようにとらえられたのである。同様にlady〈婦人〉も古くはhlāfdīge,つまりhlāfと〈こねる〉の意味のdīgeの合成であり,つまり〈パンをこねる(女)〉であった。このように現在のlordやladyからは想像もつかない古い形と意味が,その語源として浮かび上がってくる。フランス語の既婚婦人の敬称であるmadame〈マダム〉も,本来はラテン語の合成語mea domina〈私の女主人〉の呼びかけの形から出発している。
合成語でなくとも正しい語源はその命名の由来を明らかにしてくれる。たとえば英語のverseは詩の1行をあらわす語だが,これはフランス語versの借用語である。そしてその源はラテン語のversusである。この語自体は属格versūsをもつ男性形で,vertō〈向きを変える,回る〉という動詞の抽象名詞であり,そこから〈線〉,そしてverseの意味をもっている。しかし形の上からはvertōの完了形の受動分詞男性形と一致する。したがって,おそらくverseは,もとは1行1行に〈向きを改められた〉線をあらわしたものだろう。
教会に関係する西欧の言語の語彙はギリシア語に由来するものが多い。それは新約聖書の原典がコイネーとよばれるヘレニズム時代のギリシア語で書かれていたためである。しかしそれでも同じ〈教会〉をあらわす語が,英語・ドイツ語,それにロシア語と,フランス語などラテン系の多くの言語とでは源が違っている。英語・ドイツ語のchurch,Kirche,ロシア語のtserkov’はギリシア語のkyriakon(dōma)〈主の(家)〉の借用語であるのに対して,フランス語やスペイン語のéglise,iglesiaはラテン語のecclesiaに由来し,さらにそれはギリシア語のekklēsia〈集会〉の借用語である。なぜこのような違いがみられるのか。語源の探究は単に一つの語の歴史の糸をたぐってみることではなく,その源を知ってその間の変化の歴史を考え,またその概念の発生や命名の背景になった文化を理解することが重要な課題になってくる。〈教会〉の語はその一例である。
問題となる語の属する言語と同系統の言語が証明されていて,そこに対応する形があると,語源の視野はいっそう拡大する。たとえば英語のpossibleなどの借用の源になったラテン語は,possum=pot-sum〈私はできる〉,potis〈能力がある,有力な〉,potestas〈力〉などにみられるpot-という形である。この形はギリシア語のposis〈主,夫〉,同意のサンスクリットpatisなどと対応する。これには女性形もあり,前者がpotnia,後者がpatnīで,これも完全に一致している。そこでラテン語のpossum“I can”は,本来は〈私は…する力がある〉の意味であると考えられる。これに対して英語・ドイツ語のcan,könnenなどの語源的に関係のある語を探していくと,ドイツ語のkennen〈知っている〉,Kunst〈技,芸〉,さらには英語のknow,同じ意味のラテン語(g)nōscō,ギリシア語gi-gnōskōなどが指摘される。そこからcanなどの真意を推測すると,同じ〈できる〉でも,こちらは〈…するすべを知っている,技をもっている〉の意である。幅広い語源研究はこうした違いを教えてくれる。
学問的には正しくなくとも,興味深いのは民衆語源folk etymologyである。これは古今東西を通じて民衆の語るこじつけの語源解釈だが,なかには存外,的をはずしていないものがあって注目に価する。へたな役者のことを〈大根〉というが,これは大根足のことではなく,大根は生(なま)でも煮ても,食べて決して〈あたらない〉からである。
→比較言語学
執筆者:風間 喜代三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある単語(あるいは連語)が、なぜそういう意味に用いられるようになったかという由来を考えたとき、その由来を「語源」という。たとえば、別れの挨拶(あいさつ)として、「あばよ」ということがあるが、これは「案配(あんばい)良う」の転じた形とされる。また「案配」は、塩味と酸味の意あるいは味加減の意である「塩梅(えんばい)」と、物事を順序よく並べる意の「按排(あんばい)」が混合した語である。このように、語源を研究する言語学の一部を「語源学」または「語源論」といい、英語のetymologyにあたる。etymologyの語源はギリシア語のétumon「語の真の意味」にさかのぼる。これは当時の、語源的意味が真の意味であるという考え方を反映しているが、誤解を招きやすい。後の時代からみれば、語源的意味は単に古い意味にすぎず、真の意味というものは、後の各時代ごとに認められる語の諸用法のなかに潜む中心的な意味である。外国語の例を付け加えると、英語のmuscle「筋肉」はラテン語のmusculus「小さなネズミ」に由来する。これは筋肉の形や動くさまをネズミに見立てたものである。このmus-の部分が英語のmouse「ネズミ」に対応する。同じような語形上の対応が英語のhouse「家」とhusband「夫」の間にみられる。このhus-は「家」であり、husbandは語源的には「家の主人」をさした。英語のcamera「カメラ」とchamber「部屋」は同一のギリシア語kamárā「筒形天井の部屋」に由来する。この語がラテン語に借り入れられ、フランス語の時代になったとき、形がchambreに変わったが、この時点で英語に借り入れられた。cameraのほうは、ラテン語のcamera obscura「暗い箱」の略形である。なお、民衆が本来の語源と異なる解釈を加えることを「語源俗解(民間語源)」と称する。たとえば、ダイダイ(橙)の絞り汁を「ぽんず」というが、本来オランダ語のponsから出たもので、ポンスと発音された。しかし、ポンスのスが酢の意であるという意識が生じたため、ポンズと発音されるようになった。英語のpenthouse「屋上家屋」は古くはpentisであったのを、「家」という意識からpent houseに変えた。このように、民衆の解釈が、語の形や意味を変えたりすることもあるので、注意を要する。
[山口佳紀・国広哲弥]
単語は、音と意味との結合体であるから、語源を考える場合、音と意味とのそれぞれについて説明に無理があってはならない。たとえば、「案配良う→あばよ」について、アンバイヨウ→アバヨの音変化は十分におこりうることである。また、「案配」は物事のぐあいの意であり、それが「良くあれ」と言い掛けることは、別れの挨拶としてふさわしい意味をもつ。このように、語源の説明は、音と意味との両面から支持されるものでなくてはならない。この点、江戸時代あるいはそれ以前の語源説には信頼できないものが多い。とくに、音変化の可能性に関する実証的な観察を欠いていたために、その面の配慮が十分でないものが目だつ。たとえば、「たか(鷹)」を「つまかた(爪堅)」の転とするたぐいで、意味的にはありえないことではないが、ツマカタ→タカというような音変化がおこるとはとうてい考えられず、信ずるに足りない。
[山口佳紀・国広哲弥]
語源を考える場合に必要なのは、その単語(連語)の素姓、経歴である。いつごろ、どんなふうに現れ、古い意味はどんなであったか、その後どんな変化をたどったかについて知らないと、正しい語源に到達することが困難である。そうした個々の語の経歴を「語史」といい、その経歴を記したものを「語誌」とよぶが、語源研究は、語史に関する精確な知識に基づかないと、思わぬ誤りに陥ることがある。たとえば、松毬(まつかさ)のことを「まつぼっくり」という。「まつ」が松の意であることは明らかであるが、「ぼっくり」は、このままの形で考えても正解に達することはまずあるまい。しかし、この語が古く「まつふぐり」であった事実がわかれば、「ふぐり」は陰嚢(いんのう)のことで、その形状から松の陰嚢の意で命名されたことが判明する。
[山口佳紀・国広哲弥]
「つばき(唾)」という語は、唾液の意の「つ」に「吐き」のついた形で、この「つ」は「固唾(かたづ)を飲む」「虫唾(むしづ)が走る」などにも現れる。ここまでは説明できるが、唾液をなぜ「つ」というか、嘔吐(おうと)することをなぜ「吐く」というかという点になると、その説明はきわめて困難になる。
こういう場合、安易に周辺の外国語を取り上げ、それと結び付けて語源を説こうとするものがあるが、その点は十分慎重でなくてはならない。
[山口佳紀・国広哲弥]
『阪倉篤義著『日本語の語源』(講談社現代新書)』
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…しかし,これら自由学三科に固有に属するもののほかにも,いくつかの言語観,言語使用が,ラテン語の役割を広げた。それは第1には,語源論である。セビリャのイシドルスの《語源録または事物の起源》に典型的にみられるように,個々の語彙は,存在の形而上学的秘密を蔵しており,語の起源を探索し,それを正確に意識することは,とりもなおさず,存在の深奥を解明することであると考えられた。…
※「語源」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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