誤った裁判。裁判は,事実の認定,法令の解釈,適用によって,法律上の事件を解決する機能を持つが,その過程で誤った判断がまったく生じないわけではない。民事,刑事の両者について,誤判が問題になるが,民事訴訟が私人の間の法的紛争の解決を目的としているのに対し,刑事訴訟は国家の関与を前提とし,しかも刑罰という重大なことがらにかかわるものであるため,誤判の影響はより深刻で,いきおい,人権の侵害にかかわってくる。さらに,法令の解釈,適用の誤りが規範的判断の誤りであるのに対し,事実認定の誤りはその判断の基礎の誤認であり,一般に〈誤判〉とは後者を指す場合が多い。そこで,以下,事実認定の側面からの〈誤った有罪判決〉を念頭におくこととする。
誤判防止のため,法制度や運用のうえでいろいろ方策が講じられている。まず,事実認定の基礎となる証拠の収集について,捜査活動に対し各種の法的制約が課せられている。科学技術の進展に伴い,鑑識の充実,強化が図られている。収集された証拠をもとに公訴を提起するのは,検察官の職責である。訴追者と判断者が同じであると,予断をもって裁判する結果となりがちで,この点については戦前は検察官の抱いた嫌疑を裁判所に引き継ぐ形で手続が進められたが,戦後の法改正で,検察官の主張する仮説としての犯罪事実の有無を裁判官が白紙の状態から心証形成して判断するという,英米法に由来する当事者主義の原則が採用された。起訴にあたっては,検察官の主張を記載した起訴状のみを提出するのである(起訴状一本主義)。事実認定は,検察官,被告人および弁護人の提出する証拠を基礎にして,裁判官が第三者の立場から合理的な経験則に基づいて行う。専門的な事項について鑑定がなされることもある。証拠はすべて許容されるわけではなく,強制等による不任意の自白は証拠能力がないし,伝聞証拠も原則として許容されない。また,自白だけで被告人を有罪とすることはできず,他の証拠により自白を補強しなければならない。〈疑わしきは被告人の利益に〉の原則により,検察官は,〈合理的な疑いを超えるbeyond a reasonable doubt〉まで犯罪事実を立証しなければならない。判決には証拠の標目を掲げなければならず,被告人は判決に不服があれば上訴して争うことができる。
これらの手段にもかかわらず,現実に誤判が生じている。その原因として考えられるものは,第1に,自白の偏重であろう。取調べの結果,虚偽の自白がなされ,裁判官もこれを看過することがないわけではない。特に共犯者の自白への依存は危険である。次に,最近問題となっているのは鑑定である。法医学等の専門分野について鑑定がなされる事例があるが,鑑定方法の科学的な裏付け,鑑定人の能力,鑑定の前提となる事実等に疑いのある鑑定は危険であり,現に最近の再審事件でそれらが問題になったものもある。裁判官は鑑定結果に拘束されるわけではないが,逆に,十分な根拠もなく鑑定結果を排斥することも避けなければならない。第3に,情況証拠を過剰に評価して,直ちに犯罪事実が証明されたと考えることも避けなければならない。各種の情況証拠を被告人の犯行を裏付けるための単なるつじつま合せに使用することは慎むべきであり,いわゆる疫学的証明には慎重な配慮が必要である。第4に,違法な捜査活動や偽証が誤判原因になることがある。被告人に有利な証拠が捜査機関によって故意に秘匿されてはならず,証拠開示の適正な運用が望まれる。
誤った有罪判決が確定した場合,無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したときには,再審の請求ができる。いわゆる白鳥事件に関する最高裁判決以来,再審請求の段階にも〈疑わしきは被告人の利益に〉の原則が適用されることとなり,従来〈開かずの門〉といわれてきた再審請求も認められる事例が増えている。再審公判で無罪判決が言い渡された場合には,裁判に要した費用が補償されるほか,刑事補償,国家賠償による救済手段がある。
→再審
執筆者:長沼 範良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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