請原村(読み)うけばらむら

日本歴史地名大系 「請原村」の解説

請原村
うけばらむら

[現在地名]東城町受原うけばら

川鳥かわとり村の南東に位置する。当村西北のすげ竹森たけもり両村境から東南流する小奴可おぬか川が村内を貫流し、川西かわにし村に流れる。集落は小奴可川に沿って帯状に開けた狭い平地散在。元来、砂鉄採取のための鉄穴流しによって開かれた村と考えられ、東北部一帯にそれによる不自然な山容が見られる。

鎌倉時代は京都光明峯こうみようぶ寺領奴可東条ぬかとうじようの一部であったと考えられる。また品治ほんじ新市しんいち(現芦品郡新市町)本拠を置く宮氏の一族の下野守盛重が宮氏の菩提寺である中興ちゆうこう(現新市町)に差出した年不詳一二月二七日付寄進状(「西備名区」所収)に「今度合戦如所存討勝候間御祈念之至恐悦存候、仍東条之内宇計原村進入候、可御代官候、毎事期面拝之時候」とあり、戦勝祈願の恩賞として宮氏の所領であった宇計原うけばら村を中興寺に寄進したことがうかがえ、次いで宮師盛が同寺に宛てた文和四年(一三五五)一一月一日付安堵状(同書所収)には、中興寺領として「同国東条内宇計原村本役分有之云」とみえ、他の中興寺領とともにこれを確認している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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