諸鹿村(読み)もろがむら

日本歴史地名大系 「諸鹿村」の解説

諸鹿村
もろがむら

[現在地名]若桜町諸鹿

来見野くるみの村の北東に位置する諸鹿谷最奥の村で、枝郷に広富ひろどめ(広留)がある。諸鹿谷は二筋に分れ、東谷が本谷。東谷を登り詰めると因幡但馬国境の陣鉢じんぱち(一二〇七メートル)に至り(秋岡越という)、支谷を登り詰めると同じく両国境のおうぎノ山(一三〇九・九メートル)に達する(二方越あるいは波太越という)。広富は本集落から一八町ほど北に登ったところにあり、「因幡志」に「山上平原にて其広さ凡そ五十町四方なり、是を広富野と云ふ、縦横に道ありて東へ越れば但馬の漆味郡秋岡へ通す、北は同国二方郡海上村へ出つ、西は細見谷の梨木坂へ下込て妻鹿野へ至て凡そ七十町なり、宝暦の末比此山上に新田を開きけれとも水かゝり宜しからずして成らさりしとそ」とある。道はいずれも難所で牛馬は通えなかった。

元和四年(一六一八)四月の「古海之内もろか村」の畠方検地帳(若桜町役場蔵)によると上畠九反余(分米一三石)・中畠一町一反余(分米一五石四斗余)・下畠九反余(分米一一石三斗余)・切畑五町余(分米三五石四斗余)、屋敷数二四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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