日本大百科全書(ニッポニカ) 「識名盛命」の意味・わかりやすい解説
識名盛命
しきなせいめい
(1651―1715)
近世沖縄の和学者。名は盛命、氏は毛(もう)、唐名は起龍(きりゅう)、字(あざな)は思五良(うみぐら)、雅号は瑞雲(ずいうん)と称した。首里の伊野波(いぬふぁ)家に生まれ、尚質(しょうしつ)から尚敬(しょうけい)に至る5代の国王に歴仕し、功績をあげた。1688年には進貢正使として清(しん)国に派遣され、薩摩(さつま)には三度も使し、政治家最高の三司官も務めている。しかし、識名は政治家としてより和学者として著名である。薩摩に使したときの紀行文『思出草(おもいでぐさ)』上中下3巻(1700)は和文で書かれ、擬古文体の名文である。『おもろさうし』書き改めと、古辞書『混効験集』編纂(へんさん)にもかかわっている。
[外間守善]