朝日日本歴史人物事典 「豊沢広助(5代)」の解説
豊沢広助(5代)
生年:天保2.10.15(1831.11.18)
明治期の文楽三味線の名手。本名栗原豊助。通称松葉屋の師匠。もと京都西陣の機屋だった陸奥茂太夫の子で,3代目広助に入門,豊之助,富助,2代目猿糸を経て明治3(1870)年に広助を襲名。2代目竹本越路太夫(摂津大掾)の相三味線を勤めていたが,2代目団平が弾くことになったあとは8代目染太夫らと組んで同17年彦六座に移り三味線紋下となったが,ほどなく2代目団平が彦六座に移ったため文楽座に戻って三味線紋下となり,再び越路太夫の相三味線を勤めた。技巧の洗練され尽くした芸で間と模様(情景,雰囲気,心理描写)を弾くことに卓抜,力の2代目団平に対抗する存在だった。<参考文献>『義太夫年表/明治篇』
(山田庄一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報