豊能郡(読み)とよのぐん

日本歴史地名大系 「豊能郡」の解説

豊能郡
とよのぐん

面積:一三三・〇三平方キロ
豊能とよの町・能勢のせ

府の北西端に位置し、北は兵庫県多紀たき郡、京都府船井ふない郡・亀岡かめおか市、東は亀岡市のほか茨木いばらき市、南は箕面みのお市、西は兵庫県川西かわにし市・川辺かわべ郡に接する。北摂山地に属する標高五〇〇―八〇〇メートルの山々が周囲に連なって全体的に高原状の地形をなし、この北摂山地で隔る南の大阪平野に比べ気温も三―四度は低い。山地を開析して流下する代表的河川は、南部域では余野よの川が南西流し、北部域では山辺やまべ川・田尻たじり川などを合する大路次おおろじ川が南流する。いずれも猪名いな川に合流し小河谷盆地を形成するが、その面積は狭小である。郡域の約八割は山地で、耕地は少ない。豊能郡は明治二九年(一八九六)、従来の豊島てしま郡と能勢郡とが合併して成立するが、郡名は両郡の頭文字をとって付けられた。なお現郡域の大部分は旧能勢郡に属し、旧丹波国桑田くわた郡および島下しましも郡が一部含まれる。豊島郡地域は含まれていない。

〔原始・古代〕

先土器時代の石器をはじめ、縄文時代も早期から晩期までほとんどの時期の土器・石器がいくつかの遺跡から出土している。とくに能勢町の地黄北山じおうきたやま遺跡からは縄文早期の押型文土器、後期の中津式土器、晩期の船橋式土器がみられる。同遺跡と一連のものと考えられる同町の堀越ほりこし遺跡からは縄文前期の羽島下層式土器が採集された。弥生遺跡も数多くあり、とくに能勢町の吉芝よしば遺跡からは弥生前期の土器が発見されている。また各河川流域の丘陵縁辺には五―七世紀の古墳が多く分布している。能勢町の大里おおざと廃寺跡からは奈良時代前期の瓦片が出土し、古代寺院跡として注目されている。

「続日本紀」和銅六年(七一三)九月一九日条によると、同年に川辺郡から分離して能勢郡が成立し、郡家は玖左佐くささ村に設置されるが、同村は式内社久佐々くささ神社の鎮座する現能勢町宿野しゆくの付近とされる。「和名抄」によれば能勢郡には能勢郷・雄村おむら郷・枳根きね郷の三郷があり、いずれも現能勢町に比定される(雄村郷については現豊能町とする説もある)。現郡域に平安中期以降成立した庄園は、浄土寺門跡領高山たかやま庄・山城石清水いわしみず八幡宮木代きしろ(現豊能町)、摂関家領能勢庄・同領倉垣くらがき庄・典薬寮領地黄園・妙法院領田尻庄・歓喜光院領宿野庄・日吉社領枳根庄・最勝光院領山辺庄(現能勢町)などである。地黄園は現豊能郡ほかにまたがる能勢郡採銅所とともに供御所であり、地黄・白散・屠蘇などを生産、貢進していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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