18世紀半ば以降,小商品生産の展開に伴って成長していった村方地主をいう。経済的には作徳地主として小作人から小作料をとり,買占め商人として前貸しによって小生産者の生産した商品を手に入れ,みずからも生産者として年季奉公人を使役しながら,穀作とともに商品生産を行っているという,三つの性格をもっている。社会的には,村落共同体の代表者として共同体的規制関係の頂点にあるとともに,村役人として農民支配の末端機構に組み込まれて階級的強制関係の先端に位置づけられていた。これらの豪農には,それまでの名田地主・作徳地主が転化したものと,商業活動や商品生産によって成長してきたものとの二つの系譜があり,後者は多くの場合,村方騒動によって村方地主としての地位を獲得していった。この村方騒動は中期村方騒動と呼ばれ,18世紀半ばころに各地に起こった。
豪農は,幕藩領主と結んで殖産興業政策の尖兵となったり,都市商人と結んで商品集荷機構の末端機能を果たしつつ,商品生産をいっそう進展させ,それを編成していった。小商品生産の展開は,小農民経済の自給性を大きく崩していった。小農民にとって貨幣の生活の中に占める比重が大きくなるにつれて,商品の価格の意味が変化していき,労賃が上がり,商品価格が上昇した。他方,主要な市場である都市を核とした全国市場は幕府の強い統制下にあったから,その価格上昇が全国市場の商品価格を直接規定することはできなかった。こうして19世紀初めの価格・労賃騰貴問題が起きた。この過程で豪農は,その地主的性格を強めていき,小商品生産者にたいしては前貸しの性格を強めながら問屋制的編成の道を推し進めていった。この間に,農民層の分解が進み,一方で豪農が成長するとともに,他方に労働力販売によって生活の大部分を賄わなくてはならないような半プロレタリアを広範に生み出していった。この豪農-半プロの矛盾関係を基軸として展開していったのが,幕末維新期の世直し騒動である。
明治初年,政府は各地の有力な豪農たちを軸にして地方行政の体制を作ろうとした。このことは,豪農たちを政府に結びついた有力豪農と,それ以外の中小豪農とに分裂させることとなった。生産者的性格を保ちつづけていた中小豪農は,内に半プロとの矛盾関係をはらみつつも,農民たちと提携して生活と生産の擁護と発展のために運動することとなった。この動きは,まず地租改正・徴兵令・教育令に対する反対運動として現れ,ついで自由民権運動に連動していく。民権運動が終息し,明治国家体制が確立する過程で,豪農は寄生地主制の中に組み込まれていった。一部はついえて小農民となり,一部はみずから寄生地主となり,一部は巨大地主の手代的地位を与えられるという方向をたどり,豪農は解体していった。
執筆者:佐々木 潤之介
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江戸末期から明治前期にかけて存在した上層農民。多くの田畑山林を所有し、貸付地主としての側面をもつとともに、地主手作り経営を行い、あるいは農村小工業の経営に従事し、さらに村役人や区戸長などを務めるなど、地域社会の動向に重要な関連を維持していた。豪農の土地所有の経過は多様であるが、とくに江戸時代の中期以降、商品貨幣経済の進展を背景に、農民の階層分化が進行し、豪農とよばれる上層農民が増加することとなった。幕末から明治前期にかけて、雇用労働力に依存する、5~6町歩から10町歩程度の規模をもつ豪農経営が全国各地に存在した。豪農の勧業型地主としての側面を示すものであり、新種苗や新式農具の導入に熱意をもち、養蚕・製糸などの事業に進出する者も多かった。徳富蘇峰(とくとみそほう)・蘆花(ろか)兄弟の生家、熊本県の徳富家など、この時期における勧業型地主・豪農の典型であった。豪農は明治10年代に高揚をみた自由民権運動においても、「豪農民権」の呼称に示されるように、運動に関係する者が多く、群馬県の武藤幸逸(こういつ)、福井県の杉田定一、奈良県の土倉庄三郎(どくらしょうざぶろう)などがその例であった。
彼らは地主として農業生産にかかわり、製糸業や織物業など地方的工業に関連をもつとともに、地方の民生についても豊富な経験と抱負とをもつ人々であった。地租をはじめとする諸税の動向に強い関心を寄せ、国政について彼らの主張を反映させる場として、民会や国会の開設を要求する者が多かった。民権運動を通じて藩閥政府を批判し、地方自治の確立を要求する姿勢がみいだされる。しかし明治後期より地主的土地所有制度が確立され、豪農の生産力的性格は急速に後退するに至った。土地を集積して小作に付するという有利な状況が一般化され、豪農層は生産過程から遊離し、単なる地代取得者としての性格を深化せしめていくこととなった。
[伝田 功]
『伝田功著『豪農』(教育社歴史新書)』
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…質地として土地を集め,寄生地主に成長するものもあった。こうした点で在郷商人は豪農であり,在郷商人というときは豪農の商人的側面を見たものであった。解体期の幕藩権力は,在郷商人が持つ地方を支配する力を認めて,彼らを支配の末端組織にとり入れた。…
…このように,村役人が村役人としての機能と結びついて,手作規模を越える質地の集積を行い,商業的・金融的機能を営みつつ,手作経営を営む。このような質地地主を,豪農と呼ぶのである。 各地に地域的発達の差を内包する近世農業の中で,先進地農業の動向を大坂周辺農村で代表させることができる。…
…1827年(文政10)から29年にかけて,関東の農村を対象として実施された支配強化のための改革。19世紀前半の文化・文政期(1804‐30)の関東の農村は小農経営が解体し,高利貸資本としての豪農経営が展開する一方,土地を失い没落する農民が多数発生し,彼らが無宿人や渡世人として横行するようになった。このような遊民層の取締りを任務として設置されたのが1805年の関東取締出役であり,さらに,この取締り支配の方向を徹底させるために行われたのが文政改革である。…
※「豪農」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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