賀太郷(読み)かだごう

日本歴史地名大系 「賀太郷」の解説

賀太郷
かだごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「賀太」と記し訓を欠く。「続日本紀」大宝二年(七〇二)正月一〇日条に「始置紀伊国賀駅家」とみえ、南海道の駅が置かれた。郷名としては神亀五年(七二八)九月の平城宮出土木簡に「(海)部郡可太郷黒(田カ)里戸主神奴与止麻呂調塩三斗神亀五年九月」とみえるのが初見。このほか平城宮跡から同郷の調塩貢進木簡が数点出土しているが、ともに「可太」と記す。また「類聚国史(祥瑞部)天長三年(八二六)一二月二七日条に「賀多村伴嶋」に慶雲が出現したことがみえ、「延喜式」践祚大嘗祭由加物条に雑贄を採備する「賀多潜女十人」が、また同神名帳に「加太神社」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android