賀屋興宣(読み)かやおきのり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「賀屋興宣」の意味・わかりやすい解説

賀屋興宣
かやおきのり
(1889―1977)

大蔵官僚政治家。広島市生まれ。1917年(大正6)東京帝国大学法学部卒業、大蔵省に入る。主計、理財両局長、事務次官を経て、1937年(昭和12)近衛文麿(このえふみまろ)内閣蔵相となる。「賀屋財政経済三原則」を主張し、戦時経済を担当した。その後、貴族院議員、北支那(しな)開発総裁を歴任し、1941年東条英機(とうじょうひでき)内閣の蔵相に復帰。敗戦後A級戦犯に指定され、終身禁錮となる。1958年(昭和33)正式赦免され、衆議院議員に立候補し当選岸信介(きしのぶすけ)内閣の外交調査会長として、60年安保改定に取り組む。第二次・第三次池田勇人(いけだはやと)内閣では法相を務めた。自民党内タカ派の長老で、政界引退後も「自由日本を守る会」を組織したり、日本遺族会会長として活動を続けた。

[小田部雄次]

『賀屋興宣著『戦前・戦後八十年』(1971・経済往来社)』

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「賀屋興宣」の解説

賀屋 興宣
カヤ オキノリ


肩書
蔵相,法相,日本遺族会会長,衆院議員(自民党)

生年月日
明治22年1月30日

出生地
広島県広島市

学歴
東京帝大法科大学政治科〔大正6年〕卒

経歴
大正6年大蔵省に入り、主計課長、予算決算課長を経て、昭和9年主計局長、11年理財局長、12年林内閣の大蔵次官、同年第1次近衛内閣の蔵相を歴任。13年辞任後勅選貴族院議員。14年北支那開発総裁、16〜19年東条内閣の蔵相。20年A級戦犯として終身禁錮、30年仮出所、33年赦免。同年東京3区から衆院選に出馬当選。34年から自民党外交調査会、社会保障調査会、政務調査会の各会長。38年から第2次、第3次池田内閣の法相を務めた。47年引退。日本遺族会会長も務めた。自伝「戦前戦後80年」がある。

没年月日
昭和52年4月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「賀屋興宣」の解説

賀屋 興宣
カヤ オキノリ

昭和期の大蔵官僚,政治家 蔵相;法相;日本遺族会会長;衆院議員(自民党)。



生年
明治22(1889)年1月30日

没年
昭和52(1977)年4月28日

出生地
広島県広島市

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治科〔大正6年〕卒

経歴
大正6年大蔵省に入り、主計課長、予算決算課長を経て、昭和9年主計局長、11年理財局長、12年林内閣の大蔵次官、同年第1次近衛内閣の蔵相を歴任。13年辞任後勅選貴族院議員。14年北支那開発総裁、16〜19年東条内閣の蔵相。20年A級戦犯として終身禁錮、30年仮出所、33年赦免。同年東京3区から衆院選に出馬当選。34年から自民党外交調査会、社会保障調査会、政務調査会の各会長。38年から第2次、第3次池田内閣の法相を務めた。47年引退。日本遺族会会長も務めた。自伝「戦前戦後80年」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀屋興宣」の意味・わかりやすい解説

賀屋興宣
かやおきのり

[生]1889.1.30. 広島
[没]1977.4.28. 東京
政治家。 1917年東京大学卒業。大蔵省に入る。次官を経て 37年近衛内閣の蔵相。 39年北支那開発総裁。 41年東条開戦内閣で再び蔵相,太平洋戦争における戦時財政の責任者となる。 45年A級戦犯に指名。 48年終身禁錮刑,55年仮出所。 58年正式赦免。 58年衆議院議員に当選。政界に復帰した。その後自由民主党政務調査会長,池田内閣法相などを歴任。 64年党内にアジア問題研究会を結成し,反共右派の長老として重きをなした。岸信介と並び,A級戦犯の政界復帰の双璧である。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀屋興宣」の解説

賀屋興宣 かや-おきのり

1889-1977 昭和時代の官僚,政治家。
明治22年1月30日生まれ。大蔵次官をへて昭和12年第1次近衛内閣の蔵相に就任,戦時財政を担当。翌年貴族院議員。16年東条内閣の蔵相。戦後A級戦犯で終身刑となる。赦免後の33年衆議院議員(当選5回,自民党)。第2・第3次池田内閣の法相。昭和52年4月28日死去。88歳。広島県出身。東京帝大卒。旧姓藤井

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367日誕生日大事典 「賀屋興宣」の解説

賀屋 興宣 (かや おきのり)

生年月日:1889年1月30日
昭和時代の大蔵官僚;政治家。大蔵大臣;法務大臣;日本遺族会会長
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の賀屋興宣の言及

【大同】より

…同公司は蒙疆政府(出資金2000万円),満鉄(出資金1000万円),華北開発株式会社(出資金1000万円)の出資による特殊法人である。華北開発株式会社は1938年日本政府の批准をえて設立され,総裁に賀屋興宣が就いた。その設立意見書には〈日中共存共栄の精神に基き,華北経済の開発を促進し,統合と調整をおこなうのを使命とする国策会社〉とあり,日本の〈国防資源〉確保のために設立されたものであった。…

※「賀屋興宣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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