賀陽 恒憲(読み)カヤ ツネノリ

20世紀日本人名事典 「賀陽 恒憲」の解説

賀陽 恒憲
カヤ ツネノリ

昭和期の皇族,陸軍中将 元・日本大学顧問;元・陸軍大学校長。



生年
明治33(1900)年1月27日

没年
昭和53(1978)年1月3日

出生地
京都市

学歴〔年〕
陸大〔大正15年〕卒

経歴
大正9年陸軍騎兵少尉任官、騎兵第1連隊付、騎兵第10、第16各連隊長、陸大兵学教官、東部第1部隊長、陸軍戸山学校長、名古屋師団長、東京師団長、航空総監部付、陸軍大学校長、昭和18年中将、貴族院議員。22年10月他の宮家とともに皇籍離脱戦後皇室掌典長兼御歌長を務めた後、日本大学顧問、東工学園理事、社会福祉法人敬老園を創設、その理事長、名誉総裁を歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀陽 恒憲」の解説

賀陽恒憲 かや-つねのり

1900-1978 昭和時代の皇族,軍人
明治33年1月27日生まれ。賀陽宮邦憲(くにのり)王の長男。陸軍戸山学校校長などをへて昭和20年陸軍大学校校長となる。陸軍中将。貴族院議員。戦後は皇室掌典長兼御歌所(おうたどころ)長,社会福祉法人敬老園理事長などを歴任。昭和53年1月3日死去。77歳。京都出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android