日本の城がわかる事典 「赤山陣屋」の解説 あかやまじんや【赤山陣屋】 埼玉県川口市にあった江戸時代の陣屋。徳川家康にしたがって関東に入部した伊奈忠次は、三河国小島の旧領に加え鴻巣・小室領1万3000石を拝領して、関八州の幕府領(天領)を管轄する関東郡代に任じられ、以後12代にわたって関東郡代として、貢税・河川改修・新田開発などを行った。忠次は関東入部後、その居館として伊奈氏陣屋(北足立郡伊奈町)を構えたが、1629年(寛永6)、第2代の関東郡代に就任した伊奈忠治(忠次の次男)が新たに築いたのが赤山陣屋である。この赤山陣屋は忠治を含め11代にわたって、その居館となったが、1792年(寛政4)、12代忠尊のときに後継問題で所領没収となり、163年にわたる歴史を終えた。赤山陣屋は低湿地に囲まれた台地上に築かれ、その湿地を外堀とし、本丸、二の丸、出丸、家臣の屋敷などのある曲輪(くるわ)、内堀(空堀)などからなる約77万m2の広大な城郭だった。現在、この城域は植木・苗木畑や雑木林になっているが、一部は公園として整備され、遊歩道が郭ごとに設けられている。本丸跡は雑木林になっているが、本丸を囲む空堀(内堀)の遺構が良好な状態で整備・保存されている。現在は深さ1.5mほどだが、当時は6mの深さがあった。また、本丸虎口の大手門があった場所には、石碑と縄張図のある案内板がある。現在ある山王神社も、かつての城域にあった社寺である。埼玉高速鉄道新井宿駅から徒歩約30分。◇赤山城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報