朝日日本歴史人物事典 「赤松貞村」の解説
赤松貞村
生年:明徳4(1393)
室町時代の武将。赤松氏庶流春日部家の満貞の子。通称次郎。伊豆守。茶の湯の道に通じた文人で,将軍足利義教の寵を受けた。永享12(1440)年,赤松氏惣領満祐の弟義雅の所領が義教により召し上げられ,一部が貞村に与えられた。さらに満祐から守護職も取り上げられるのではないかと世上取りざたされ,恐怖にかられた満祐は翌年6月,自邸で義教を殺害(嘉吉の乱)。その場には貞村も居合わせたが逃走している。8月,満祐追討軍に加わって播磨に赴いたものの,目立った戦功はなかった。まもなくその地で没したという説もあるが「赤松諸家大系図」によれば没年は文安4(1447)年となっている。
(榎原雅治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報