朝日日本歴史人物事典 「赤橋登子」の解説
赤橋登子
生年:徳治1(1306)
室町幕府初代将軍足利尊氏の妻。「なりこ」とも。2代将軍義詮,鎌倉公方基氏の母。六波羅探題北条久時と北条宗頼の娘の子。鎌倉幕府最後の執権赤橋守時の妹。『太平記』によれば,正慶2/元弘3(1333)年,伯耆船上山の後醍醐軍討伐の命を帯びて尊氏が鎌倉を出発する際,4歳の千寿王(義詮)と共に人質として鎌倉に残った。尊氏の離反が鎌倉幕府に知られる直前に逃れ,千寿王を擁した足利軍は合流した新田義貞軍をしのぐ軍勢となり,足利方に大きな勝利をもたらした。没後,仁和寺等持院に葬られた。法号は等真院定海。贈従一位。
(西尾和美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報