20世紀日本人名事典 「足立 正」の解説
足立 正
アダチ セイ
明治〜昭和期の教育者,考古学者 米子市立山陰歴史館館長。
- 生年
- 元治2年1月10日(1865年)
- 没年
- 昭和27(1952)年10月29日
- 出生地
- 伯耆国会見郡上道村(鳥取県境港市)
- 学歴〔年〕
- 島根県松江師範小学師範科〔明治14年〕卒
- 経歴
- 鳥取県内の小学校で教鞭を執り、明治33年には鳥取県淀江町外三ケ村学校組合養良小学校校長となって農業補習学校と実科高女の併設に尽力。また大正11年公立実業学校校長に就任し、15年には公立高等女学校校長を兼任、鳥取県の地域教育の発展に努めるところが大きかった。その一方で考古学の調査研究及び遺物の保存にも力を注ぎ、12年鳥取県史蹟名勝天然記念物調査委員を嘱託され、13年には考古資料の保存・閲覧のため県内の淀江町に山陰徴古館を設立。昭和3年に公立実業学校校長及び公立高等女学校校長の職を辞したのち4年から9年まで境町長を務めた。15年米子市立山陰歴史館の初代館長に就任し、20年まで在職、その間に「米子市史」の編纂などに当たった。
足立 正
アダチ タダシ
- 生年
- 明治16(1883)年2月28日
- 没年
- 昭和48(1973)年3月29日
- 出生地
- 鳥取県境港市
- 学歴〔年〕
- 東京高商(現・一橋大学)〔明治38年〕卒
- 経歴
- 明治38年三井物産に入社、44年藤原銀次郎に誘われて王子製紙に転じ、大正9年取締役。以後、常務、専務、副社長を経て昭和17年社長、21年12月退任。22年公職追放。解除後の26年ラジオ東京(東京放送の前身)社長に迎えられ、日本民間放送連盟初代会長も務め、草創期の民間放送事業の確立に功績を残した。その後、31年日本生産性本部会長、32年日本商工会議所、東京商工会議所各会頭となり、同時に日経連顧問、経団連顧問なども歴任し、高度経済成長期の財界リーダーとして活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報