軽臼村(読み)かるうすむら

日本歴史地名大系 「軽臼村」の解説

軽臼村
かるうすむら

[現在地名]島牧郡島牧村字豊浜とよはま・字大平おおびら・字軽臼岱かるうすたい

明治初年(同二年八月―同六年の間)より同一二年(一八七九)まで存続した村。床丹とこたん村の北東にあり、大平川が流れる。明治三年六月仏光ぶつこう(現京都市下京区)によりヘルカルウスを軽臼村とするよう指示された(「島牧郡之内支配開拓帳」島牧村史)。同五年開拓使により正式に村名が定められた。同六年の「後志国地誌提要」に軽臼村とみえ、戸数一五・人口六四、寄留戸数八・人口一五で、稲生社(文政一一年建立)が祀られる。

軽臼村
かるうすむら

明治一二年(一八七九)より同三九年まで存続した村。明治一二年四月軽臼村・飼鹿かいしか村が合併して新たに軽臼村が成立。同一六年の漁家戸数七三・人口一四二、漁船二五五、建網三七・手繰網六〇〇(島牧村史)。同二四年調の「徴発物件一覧表」では戸数八三、男二九八・女二七二、倉庫二六、厩一、寺一、学校一、五〇石以上船一二、艀漁小廻船二八九。「状況報文」によれば、同三一年の戸数一一一・人口八九〇で、移民青森・石川・富山・新潟諸県からの者が多く、同三二年の鰊建網三二統・鰊刺網八八八放、ほか鱈釣船六艘、鮑突三人・海鼠曳六人がみられ、小売商三、四余、軽臼尋常小学校がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android