荘園制下の農民が,その家屋敷・田畠をすて荘外に逃亡することで,領主に対する抵抗の一形態。逃散には,個々の農民が行うもの(欠落(かけおち))と,集団で行うものとがあったが,惣村の成立以後,後者は自覚的な抵抗形態となり,逃散は単なる逐電と区別されるようになった。荘園制下の農民は,年貢課役の減免,非法代官の罷免などの要求を通すため,しばしば一揆を結成し,強訴(ごうそ)を行ったが,なお要求が認められない場合,最後の手段として全員が荘外に逃亡する逃散を行った。この抗議形態は,農民側も浮浪人化するという悲惨な状態におちいることもあったが,領主側も収益を失い荘園が荒廃するという大きな打撃をうけた。やがて室町時代に入って農民の耕地との結びつきが強まってくると,再び戻ることを前提に,あらかじめ他領の農民に家財をあずけ,近辺の山中などに拠点をつくっておき,そこにこもって要求が認められるのを待つ,逃亡しない逃散の形態がとられるにいたった。このような形態が一般化すると,逃散農民にとって,逃散中の家屋敷・家財・耕地の保全が必要となってきて,それを目的とした種々の作法が生みだされた。逃散する農民は,通常領主に対し年貢の未進,出挙(すいこ)による負債をおっており,領主はその債務をつぐなわせるために,逃散したものの家・田畠などを没収するとともに,その本人を身代(みのしろ)としてとるために追求したのである。そのため逃散農民は,まずアジールとして存在した山林へ逃げ込んだのであり,そのため当時逃散のことを〈山林に交わる〉〈山野に入る〉と称したのである。やがて農民はこの手段を拡大させ,逃散中の家屋敷・田畠のまわり,さらには村落・荘園の入口などを篠(ささ)や柴でおおい,その場所を山林不入地としてしまう〈篠を引く〉〈柴を引く〉と称する作法を形成し,領主側の役人が強制執行することを拒んだのである。
執筆者:勝俣 鎮夫
農民が年貢の重圧などに抗して耕作を放棄し村外に逃亡する逃散行為は,近世にも全時期を通じてみられた。近世成立期の17世紀前半,逃散は領主に対する農民の主要な抵抗形態であった。その中には,〈走り者〉〈走百姓〉などの呼称であらわれる,隷属農民や小百姓の個別的な欠落から,大百姓が村内の小百姓や隷属農民を引き連れて村ぐるみで逃亡する集団的な逃散まで,さまざまな規模・形態のものが含まれる。このうち〈走り〉〈欠落〉などの個別的な逃亡を除外すると,逃散は単なる村からの逃亡ではなく,領主に要求を受け入れさせるための計画的な同盟罷業といった色彩をもつことが多かった。すなわち,合法的な訴願が受け入れられない場合に,〈田畑差上げ,総百姓諸方立退〉あるいは〈訴訟として惣百姓立のき〉といった非常手段に訴え,要求が通れば再び帰村して耕作に従事する--これが逃散の一般的形態であった。その際,逃散の拠点として近辺の山中が選ばれることも多く,これは〈山上がり〉〈山籠り〉などと呼ばれている。ここには〈山林に交わる〉と表現された中世の逃散の伝統が強く息づいているといえる。次に17世紀後半,小農民経営を基盤とした近世村落が一般的成立をみ,それを背景に近世的な惣百姓一揆が登場してくると,逃散の形態にも変化があらわれる。惣百姓一揆の主要な形態は18世紀前半にかけ,全藩的な越訴(おつそ)から全藩的な強訴へと展開するが,その中で藩領の農民が他藩領へ,あるいは幕領へ逃げ込み,その地の領主や代官に越訴・強訴を行うといった形の逃散がみられるようになるのである。こうした領域をこえた農民の協力的運動としての逃散は,幕府の禁令にもかかわらず近世中後期にもしばしば起こっているが,たとえば1853年(嘉永6)に仙台領へ大挙逃散した盛岡藩農民(三閉伊(さんへい)一揆)が,みずからを〈天下の民〉と称したように,逃散運動の中で幕藩制の基本理念を揺るがす新たな認識が生まれていったことは注目に値する。
→一揆
執筆者:安藤 正人
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中世の農民闘争の一形態で、多くの農民が田畑を捨てて他所に逃れることをいう。類似の行為は古くからみられるが、古代の場合には、これを逃亡、浮浪とよび、重課に耐えかねた農民たちが、貴族・社寺・地方豪族の所領に流入し、課役を逃れようとするものであった。しかし、中世の逃散はさらに積極的な意味を帯びたもので、荘園(しょうえん)領主に対し年貢・夫役(ぶやく)の減免、非法代官の排斥、井料(いりょう)の下行(げぎょう)(用水の管理費の給付)などを要求し、この要求が認められなかった場合に行われた。したがって、古代の逃亡とは異なり、村落の惣(そう)的結合を基盤とし、多数の農民が集団的な行動をとった。そのため、領主の受ける打撃も大きく、逃散を受けた領主が年貢を減免したり、非法のあった代官を改替させる事例も多かった。戦国・織豊(しょくほう)時代には数か村の百姓が申し合わせて逃散することもあったが、幕藩体制のもとでは厳重に禁止されたために、しだいに下火となった。なお、中世においても1人あるいは数人が村落を逃れ去る行為はあったが、これらは欠落(かけおち)、逐電(ちくでん)とよばれ、逃散と区別されている。
[黒川直則]
『中村吉治著『土一揆研究』(1974・校倉書房)』
中世では荘園住民が,荘園領主への抵抗を目的に耕作を放棄し,家屋敷・田畠を捨て荘園外へ逃亡すること。南北朝期の荘家の一揆では,住民が一揆を結成して行う集団的な逃散が抵抗手段としてしばしば用いられ,荘園領主側も,逃散に至る手続きの合法性の有無を問題とすることはあっても,逃散自体を不法行為とはみなさなかった。逃亡先がアジールである山林が多かったため,「山林に交わる」「山野に交わる」とも表現された。近世の逃散は,隣接領域へ赴くことが多く,逃散先の領民となることを標榜して行われ,女性や子供も行動をともにし,農具なども携帯した。強訴(ごうそ)と並ぶ代表的な百姓一揆の闘争形態で,幕府は頭取死罪などの重罰を科した。
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…それは同時に共同体成員すなわち自由民としての義務とうけとられていたので,これを果たしていれば平民の移動の自由は保証されたが,種子・農料の下行や出挙をうけながら,年貢・公事を未進(みしん)することは,自分自身あるいは子供を身代(みのしろ)として贖(あがな)わなくてはならない罪であった。中世社会にはこのような未進,それに伴う借銭によって下人に身を落とす人々が多く,なかには共同体から離脱・逃散(ちようさん)して浮浪するものも少なくなかったのである。 しかも田畠はまだ荒れやすく,川成(かわなり)・不作として休耕しなくてはならないこともしばしばで,畿内とその周辺などでは田畠の年貢部分をこえる得分(とくぶん),加地子(かじし)の得分や耕作権が売買の対象になっているが,全般的には不安定な田畠に対する平民の権利は弱体であった。…
…日本の近世期に,手不足のために耕作放棄された耕地をいう。初期には,その最大の原因は領主の苛斂誅求(かれんちゆうきゆう)にあり,年貢諸役の負担に耐えかねた百姓が逃散(ちようさん),走り,潰れ(つぶれ)などで離村し,その跡に手余地が発生した。例えば1618年(元和4)春,会津藩(蒲生氏)領の栃窪村では年貢諸役の重圧に抗して村ぐるみで百姓が逃散し,これに対して藩は年貢諸役を免じて〈田地は作取(つくりとり),諸役之儀も申付間敷……未進をも用捨〉と譲歩したが百姓は帰村せず,同年10月には肝煎(きもいり)以下全員が村に不在という荒廃状態になった。…
…平安時代以降,王臣貴族や寺社による野の占有,開発(かいほつ)は抑え難い勢いで進み,天皇家も蔵人所(くろうどどころ)猟野を定めており,院政期以後に立券された荘園の四至(しいし)内には,それぞれに区別され,丈量された原と野とが見いだされる。しかし鎌倉時代以降も,逃散(ちようさん)する百姓たちがしばしば〈山野に交わる〉といったように,野は,そこで起こった闘諍はその場のみで処理される無主の地,アジール的な特質を失っていない。とはいえ山林と違い,江戸時代には灌漑,治水の技術の発展とともに,武蔵野をはじめ野の開発は急速に進行していった。…
…逃亡を〈走る〉と表現する例は中世に広くみられるが,走者という語法はそれほど一般的ではない。その実態は被官・中間(ちゆうげん)・下人・百姓など多様であるが,逃散(ちようさん)のような組織的な公然たる抵抗をあらわす逃亡よりは,むしろ走入(はしりいり)・欠落(かけおち)など,負債や困窮を原因とする個別的なひそかな逃亡についていい,中世を通じてその例は多い。そのため村落の内部で〈はしり候者見かくし候はば,となり三間として御年貢納所仕るべし〉(《今堀日吉神社文書》)と,走者を隣人の連帯責任として規制した村掟もみられる。…
※「逃散」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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