逆井村(読み)さかさいむら

日本歴史地名大系 「逆井村」の解説

逆井村
さかさいむら

[現在地名]柏市逆井・逆井藤さかさいふじだい南逆井みなみさかさい一―七丁目

藤心ふじごころ村の南西に位置し、西は中野なかの牧に接する。大津おおつ川の支流が村の中央部を東流、用・排水の役割を果していた。北は増尾ますお村、南は高柳たかやなぎ新田(現沼南町)の野馬除土手。寛永二年(一六二五)の本多正貫領知目録写に「逆井村百拾八石」とみえ、領主変遷は藤心村に同じ。元和六年(一六二〇)本多氏による検地では反別田二五町八反余・畑一一町一反余(逆井区有文書)。田方が多いのは大津川支流の谷津(二本)があったためと考えられる。

逆井村
さかさいむら

[現在地名]猿島町逆井

西仁連にしにれ川西南岸に所在。西は東山田ひがしやまた(現三和町)飯沼新田いいぬましんでんの枝ヤトが村域に入込むが、西部はほぼ平坦地、南部には平地林が多い。戦国期には逆井氏の逆井城があった。天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)の「上幸嶋」分に「さか井 寿首座」とあり、義氏の奉行人昌寿の支配地。「寛文朱印留」に「逆井村」がみえ、江戸初期は下総関宿藩領で、猿島郡上郷に属したが、享保一〇年(一七二五)飯沼新田開発の関係から天領となり、明治に至った。

逆井村
さかさいむら

[現在地名]江戸川区平井ひらい一―四丁目・小松川こまつがわ二―四丁目

西小松川村の西に位置し、西は下平井しもひらい村、南は中川(現在の旧中川)を挟み亀戸かめいど(現江東区)。田園簿に村名がみえ、田一六二石余・畑二八石余、ほかに野銭永六二七文と舟役一艘分永一〇〇文が課せられている。文政一一年(一八二八)の助郷勤高は二一三石余で(「新宿町助郷高取調書上帳」宇田川家文書)新宿にいじゆく(現葛飾区)に出役した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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