日本歴史地名大系 「達屋酢蔵神社」の解説
達屋酢蔵神社
たつやすくらじんじや
嘉暦四年(一三二九)とされる鎌倉幕府より諏方上宮十三所末社造営下知状(守矢氏蔵)に「達屋 御造営栗林両郷之役」とあり、永禄八年(一五六五)武田信玄が発した「諏方上下社祭祀再興次第」に「楯屋之宮之儀、栗林南北両郷之役之由、任本帳之文、彼郷中之田役七年ニ一度催促、可加修理者也」とある。「諏訪神社祭典古式」には「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
嘉暦四年(一三二九)とされる鎌倉幕府より諏方上宮十三所末社造営下知状(守矢氏蔵)に「達屋 御造営栗林両郷之役」とあり、永禄八年(一五六五)武田信玄が発した「諏方上下社祭祀再興次第」に「楯屋之宮之儀、栗林南北両郷之役之由、任本帳之文、彼郷中之田役七年ニ一度催促、可加修理者也」とある。「諏訪神社祭典古式」には「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新